四つのいのち – LE QUATTRO VOLTE(2010年)

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スタッフ
監督:ミケランジェロ・フランマルティーノ
脚本:ミケランジェロ・フランマルティーノ
編集:ベニー・アトリア、マウリジオ・グリロ
撮影:アンドレア・ロカテッリ
音楽:パオロ・ベンヴェヌッティ、S・P・オリヴェロ

キャスト
老羊飼い / ジュゼッペ・フード
炭焼き人1 / ナザレノ・ティンパーノ
炭焼き人2 / ブルーノ・ティンパーノ
炭焼き人3 / アルテミオ・ヴェローネ
羊飼い1 / ドメニコ・カヴァッロ
羊飼い2 / サント・カヴァッロ
羊飼い3 / ペッペ・カヴァッロ
司祭 / イシドラ・キエーラ
聖職者 / チェザーレ・リトルト

日本公開: 2011年
製作国: イタリア、ドイツ、スイス ヴィーヴォ・フィルム作品
配給: ザジ・フィルムズ


あらすじとコメント

前回の「うつくしい人生」(1999)は、辺鄙な田舎で暮らす人間たちの等身大の環境と背景を描いた作品だった。今回も、隔離されたような片田舎で繰り広げられるドラマで、『輪廻』を描く魅惑的な小品。

イタリア、カラブリアぜんそく持ちの老羊飼い(ジュゼッペ・フード)は、身寄りもなく、何十年も黙々と山羊たちを放牧させては戻るという単調な人生を送って来た。

しかし、持病のぜんそくは日々悪化し、教会で分けてもらう飲み薬だけでは、どうにもならないほど。それでも他に術を知らぬ彼は、やはり、日々、山羊たちを連れ放牧に出掛ける。

誰とも会話を交わさず、全部自分だけで生活する姿は、数少ない村民から、それはそれとして認められているようでもある。

そんなある日・・・

一切の台詞もなく、セミ・ドキュメンタリー・タッチで描かれる悠久なる地球の営みを描く秀作。

他人と接点を持たず、黙々と山羊を飼って生きる老人。丹念というか、淡々とその老人の日常が描かれる。

その後に描かれるのは、彼の飼う山羊の群れの中で新たな子山羊が誕生し、その幼い山羊がひょんなことで短い生涯を閉じてしまうまでを追い、更には子山羊が最期を迎える山にそびえる『大木』の行く末を描くという一時間半にも満たない小品として仕上がっている。

しかし、この展開の中で描かれるのは、地球という存在の中で繰り返される誕生と終焉という、生き物や植物たちの『輪廻』である。

まるでBSテレビで放送される番組のようなカメラ・ワークで進行するのだが、編集が不自然で、妙な居心地悪さを覚醒させられる。

小さな村を俯瞰で捉え続ける「定点カメラ」。時折、カメラが左右に振られるが、本来、注目させたい移動する対象物が、意図的に画面から外れる、何とも不安定さを感じさせる画面構成。長回しで、まるで放ったらかし的な印象を与える他の場面も同様だ。

実にノンビリとして牧歌的というか、忘れ去られた自然と共生するために歩む時間軸としてのリズム感。

羊飼いの老人を筆頭に村人たちが登場するが、一切、会話やナレーションもない。

本当にBSのドキュメンタリー番組的作劇。それでいて編集リズムを敢えて外しているが、計算し尽くされた画面構成に、次第に引き込まれていった。

映画の冒頭、登場してくるのは黒い土で盛られたボタ山に開いた無数の穴から噴きでる煙。

都会育ちの人間としては、一体、これは何だと、興味を喚起させられる。解る人間には解るのだろうが、冒頭から、思考優先で生きている都会人を突き放すようだ。

その「ボタ山」が、一体、何であるのかはラストに明かされるのだが、成程、それこそが『輪廻』なのだと理解させられる。

孤独だが、達観したというか、平然として静謐の中で暮らす病弱老人から、彼の飼う山羊たちの微笑ましいコメディ的場面を緩衝材的に挿入させ、長い暗転や、長廻し、短いカッテイングというリズムで繋いでいき、付かず離れず、優しさと厳しさを兼ね備え、まるでゆったりとした交響曲のような趣で進行する。

あまりにも淡々とし過ぎていて眠気を催す観客もいるだろうが、飽きる前に終了するという上映時間も素晴らしい。

何てことないが、その「何てことない」日常の中に潜む自然の残酷さと冷徹さ。

人生を自分で開拓し進んで行く、前向きな生き様を優先しようとしても、いとも簡単に自然界の下では、打ち砕かれるという示唆に富んだ静かなる秀作である。

余談雑談 2016年6月18日
先週行ってきた沖縄オジサン二人旅。特に、渡嘉敷島滞在中は晴天に恵まれた。 その離島滞在では、シュノーケルから釣り、更には満天の星空も堪能したが、二日とも昼間のメインは、老母と息子でやっている古臭い海の家で、来客があると多少、手伝いつつの「飲