スタッフ
監督:テレンス・フィッシャー
製作:マイケル・カレラス
脚本:ジミー・サングスター
撮影:ジャック・アッシャー
音楽:フランク・ライゼンスタイン
キャスト
バニング / ピーター・カッシング
カリス、ミイラ男 / クリストファー・リー
イソベル、アナンカ王妃 / イヴォンヌ・フルノー
マルーニー警部 / エディ・バーン
アトキル / ジョージ・パステル
ポーチャー / マイケル・リッパー
バニングの父 / フェリックス・アイルマー
フェンプル / レイモント・ハントレイ
パット / ハロルド・グッドウィン
日本公開: 1959年
製作国: イギリス ハマー・フィルム作品
配給: ユニバーサル
あらすじとコメント
ホラー映画で続ける。その手の作品を数多く輩出したイギリスのハマー・フィルムの一本で、ドラキュラや、狼男、フランケンシュタインでなく、これにしてみる。
エジプト1895年、イギリス人のベニング(ピーター・カッシング)は、考古学者である父親と叔父で、3000年以上も前に実在したといわれるアナンカ王妃の墓所を探しに来ていた。
とある洞窟の奥にそれらしい場所を発見し、中に入って行った。間違いないと確信する一行だが、ベニングが足を怪我してしまう。仕方なくキャンプ待機となり、父と叔父が、エジプト人夫を引き連れて入っていった。紛れもなくそこは墓所であり、棺や巻物を発見し、持ちだそうとする。その最中、父親が墓所内で巻物を解読していると、突如、意識不明になってしまう。一体、何が起きたのか。
何とか連れ出された父親を含め、棺や巻物と共にイギリスへ戻るが、父親は奇妙な言動から精神病院へ入所させられてしまう。しかし、話には整合性があるとベニングは父親が調査した過去の書類を精査し始める。そんな折、近所に引っ越してきたというエジプト人アトキル(ジョージ・パステル)が訪問してきた。
しかし、彼は王妃の墓所の墓守を続ける一族の末裔だった・・・
王妃の護衛だったミイラが封印を解かれ暴れるホラー。
考古学資料として持ち帰ったものが、元あった場所の人間からすると冒涜であり、優越感を持つ文明国の奢りであるとばかりに「墓荒らし」窃盗者として処刑して行こうとする内容。
しかも、それには身分違いの恋心を持ち、生きたまま布を巻かれて王妃の近くに閉じ込められた屈強な護衛隊長を復活させての遂行である。
当時からエジプトのピラミッドに代表される謎の歴史を大胆に小説化したものが原作。それを「ミイラ再生」(1932)として映画化したもののリメイク。
出演はハマーの怪奇モノと言えば、名コンビのピーター・カッシングとクリストファー・リー。そのほとんどがカッシングが博士なりの退治側で、リーが化け物役。本作も然りだ。
監督はハマー作品の怪奇モノを得意としたテレンス・フィッシャーが務め、色彩を意識したカット割と、おどろおどろしい音楽、美女の悲鳴と定石通りの展開を見せる。
すべてがセットだと解るチープさこそハマー作品の真骨頂であり、いかにもB級感を醸しながらの進行。
しかも、ご都合主義で整合性よりも驚くために見たい人向けの作劇。つまり、内容を重視し整合性を意識する人には全く不向きの作品群である。
確かに、粗製乱造の権化ハマー・プロであるが、何を間違ったか鑑賞に堪えうる佳作も輩出しているのでギャンブル性を持って鑑賞するのも一興かもしれぬ。
ただし、本作はその部類ではないのだが。多少は白人至上主義へのアンチテーゼを感じはするが、エジプト人への蔑視をもセットで連想させる。
というよりも、数千年前のミイラ男こそ、純粋でストレートな人間らしい感情を持っているというのが興味深い。
かといってミイラ男への肩入れがしづらいのは、やはりイギリス人の植民地政策の正当性という意識が根底に流れているからだろうか。
制作年代からしてスプラッターで血しぶきが飛ぶ、という生理的に嫌悪感を覚醒させつつの映像表現ではないところにも矜持を感じた。
映画が、出向いて鑑賞する娯楽であった時代の遺物であるとも感じさせる作品。