日曜日は別れの時 – SUNDAY BLOODY SUNDAY(1971年)

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スタッフ
監督:ジョン・シュレジンジャー
製作:ジョセフ・ジャンニ
脚本:ペネロープ・ギリアット
撮影:ビリー・ウィリアムス
音楽:ロン・ギーシン

キャスト
ハーシュ / ピーター・フィンチ
アレックス / グレンダ・ジャクソン
エルキン / マーレー・ヘッド
グレヴィル夫人 / ペギー・アシュクロフト
電話交換手 / ベッシー・ラヴ
ハドソン / フランク・ウィンザー
アルヴァ / ヴィヴィアン・ピックルス
グレヴィル / モーリス・デナム
ハーディング / トニー・ブリトン

日本公開: 1973年
製作国: イギリス J・ジャンニ・プロ作品
配給: ユナイト


あらすじとコメント

「特攻サンダーボルト作戦」(1976)では、苦悩するイスラエル首相を演じたピーター・フィンチ。今回は重厚な人間ドラマで、ユダヤ人役を演じた作品を扱う。

イギリス、ロンドン3年前に離婚し、キャリア・ウーマンとして働くアレックス(グレンダ・ジャクソン)は週末旅行に出掛ける友人夫妻から、子供たち5人の面倒を見てくれと頼まれた。

泊り道具を持ち訪問すると彼女の恋人で新進青年芸術家エルキン(マレー・ヘッド)も来ていた。友人夫婦は二人で仲良く面倒を見てね、と旅立っていった。子供たちがいるものの週末を楽しめると嬉しがるアレックス。

ところが翌朝、エルキンは彼女らを置いて出掛けてしまう。そして向かった先はユダヤ人の独身開業医ハーシュ(ピーター・フィンチ)の自宅だった・・・

虚無感漂う奇妙な三角関係を描く人間ドラマ。

仕事に疲れた30代中盤のキャリア女性。問題がある患者たちに日々、追われる中年ユダヤ人医師。そしてバイセクシャルの20代半ばの新進芸術家の青年。

それぞれが心にわだかまりや葛藤を持ちながら生きている日常。

青年を巡る中年男女は双方ともお互いの関係性を承知の上での交際で、嫉妬心もないようだ。

何とも、いびつというか、異質な関係性。そこに浮かぶのは、各々が持つ人生の悩みは他人に向けてではなく、己のことに終始しているという感性。

更に、中年女性に子守を依頼する夫婦だって、子供たちがマリファナを吸っても怒らないような、寛容というか、何に基準を置いて生活しているか理解しづらい人間たちだ。

そもそも、泊りがけで子守を頼むのに青年も呼んで男女の関係が展開されても平気。否や、むしろ楽しめと笑うタイプ。どうにも感情移入がしづらい大人ばかりの印象。

監督は、「真夜中のカーボーイ」(1969)で成功を収めたジョン・シュレジンジャー。

その彼が凱旋帰国して撮った作品。なので異国ニュー・ヨーク、つまりは移民で形成される異質さとは違う、母国イギリスという国柄の闇的部分を描破していると感じる。

しかも中年医師はユダヤ人である。そこに『ひねり』が存在し、同性愛者が存在し続けたイギリスの中流以上の階級も連想できる。

しかし、分別があり他人を救う「医者」という立場。しかも、独自の宗教観があり、そのキリスト教徒とは違う価値観も描かれる。

その宗派でありながら、苦渋の顔しか浮かべないという『自己スタンス』が、何ともこちらの心を複雑にさせる。

晴天の戸外は一切描かれない画面構成。それもロンドンらしいのか。

怒れる若者たちも登場し、世代感や宗教観が全く違う疎外感を感じつつ、「個性」の違和感が漂うというよりも強烈に臭う作劇。

同性だろうと異性だろうと孤独から派生する焦燥感は性別に関係なく、「人間」ゆえの乖離。誰もが寂しく、大人を演じながらの諦念感。

映像的に妙味を感じたのは青年の背中に抱きつく女性と男性の腕という、同じショットの画面から漂う、エロチシズムとは異なる緊張感と絶望感。共通するのは「孤独」からの逃避。

人間とは成長するにつれ、残忍性が排除された自己帰結に行き着くという寂寥感漂う作品。

余談雑談 2019年9月14日
沖縄旅の続き。台風接近で、二泊の予定を一泊に変更した渡嘉敷島滞在。初日は、時折風が吹くものの晴天だった。迎えた二日目の朝。 朝8時に出港最終決定が出ることになっていたが、島民らの予想に反し、朝一の小型高速艇のみの出航で、以後は全便欠航との情