今回の都々逸。
「うちの亭主とこたつの柱 なくてはならぬがあって邪魔」
もしかして、夫婦間のものを選んだのは初めてかもしれぬ。
そもそも『都々逸』は敗者の文学というか、日陰者の人間が未練とか、儚い夢をうたう類。かといって、夫婦間でも良い。
とはいっても、今の世の中、全方位に気を使っていないと大変なことになるみたいだ。
この手のものも『被差別的』てな理屈で攻めてくる人もいよう。まあ、『屁理屈』に関しては、自分も長年培ってきたけど。
それに『こたつ』なんぞ使う家庭は現在ではどれほどあるのか。地方の豪邸一軒家とか、もしかして寒いイメージのない沖縄あたりで暖房専用器具を取り付けるよりも安上りで、シートを外せば、机として利用できるから持ってるサ、とか。
『はしら』にしても、この場合、「亭主」は本来『一家の大黒柱』、更には、「温もり」をもたらすてなイメージも揶揄しているのかもしれない。
それだってどうだ。今や「大黒柱」なんぞ知らぬ人間が多いんだろうな。今後は一人で生き切る人間も増加するだろうしね。
その場合、大黒柱はAiか仮想通貨とやらで真剣に考えるのでしょうか。
せめて、あってもなくても邪魔のほうが、存在無視よりはマシだよな。
本年もよろしくです。