愛の嵐 – IL PORTIERE DI NOTTE(1973年)

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スタッフ
監督:リリアーナ・カヴァーニ
製作:ロバート・ゴードン・エドワーズ
脚本:L・カヴァーニ、イタロ・モスカーティ
撮影:アルフィオ・コンチーニ
音楽:ダニエレ・パリス

キャスト
マクシミリアン / ダーク・ボガード
ルチア / シャーロット・ランプリング
クラウス / フィリップ・ルロア
スタイン伯爵夫人 / イザ・ミランダ
アサートン / マリーノ・マッセ
ハンス / ガブリエル・フェルゼッティ
マリオ / ウーゴ・カルディア
ヤコブ / ガイ・ジークフリード・シーフィルド
アドルフ / ニーノ・ビニャミーニ

日本公開: 1975年
製作国: イタリア ロタール・フィルム作品
配給: 日本ヘラルド


あらすじとコメント

前回はユダヤ系イタリア人親子の強制収容所での話。今回もユダヤ人と収容所。対象は女性で、そしてメインに描かれるのは戦後。何ともいびつなドラマ。

オーストリア、ウィーン1957年、高級とはいえないホテルでフロント係として淡々と勤務するマクシミリアン(ダーク・ボガート)。彼自身、どこか世間からひっそりと身を潜めているような態でもある。感情の起伏もなく、客からの要望にできるだけ淡々と応じるような中年男。

一応、観光客も来るのだが滞在ではなく、長く住む人間もいる。没落貴族のスタイン夫人(イザ・ミランダ)は、ベッドを共にする男を求めるような女性。それに昔の友人も住んでいた。

マクシミリアンは、第二次大戦ではナチス党員として強制収容所の責任者でもあった。つまりは戦犯である。しかし、指名手配を喰らうような大物ではない。それでも逮捕でもされれば、それなりの処罰を受ける対象。

ゆえにひっそりとホテル従業員として生きているのだった。そんなマクシミリアンのホテルにアメリカのオーケストラ指揮者夫婦が宿泊にやってくる。

その妻ルチア(シャーロット・ランプリング)を見た彼は・・・

絶望的な再会から人生の歯車を狂わせていく男女を描くドラマ。

ナチス将校として収容所で権力を振るっていた男。そして、当時、彼に愛玩動物のように扱われ、今や中年に差し掛かった元少女が再会する。

お互いに、決して思いだしたくない過去だ。

しかし、当時の強烈な経験は、今の厭世的な生活から、恐怖ながらも忘れ難い思い出としてお互いに蘇ってくるから始末に悪いのである。

その上、主人公は『ネオナチ』というか、未だに第三帝国の夢をついばむ同志たちと定期的に会い、粛清と反省と言いながら、夢よもう一度と願うグループに所属している。

それなのに再会した相手は「ユダヤ人女性」である。

結局、主人公とヒロインは肉欲に溺れていく。不安定な場所で出会うと、互いが運命的と錯覚する『恋の吊り橋効果』から、拉致された側が生き残るため、相手につながりを抱く『ストックホルム症候群』へと変貌していく様を描いていくのだが、そこに「ネオナチ」という厄介な組織が絡んでくるから、すべてが絶望的な方向へと転がりだす。

何とも厭世的で、嫌な意味でのセクシャル系デカダンスが匂い立つ。

何といっても、少女から中年人妻までを演じ分けたシャーロット・ランプリングの鳥肌が立つほどの演技が見事。決して、プロポーションが良いとは言えない肉体をこれでもかと、全裸で見せつけてくる。

少女のときの「ヴァージニティ」と、中年でのその妖艶さとまったく違うイメージを感じさせる。彼女以外では存在しなかった作品であろう。

ボガートの神経質さを滲ませながら理性的に対処しようとしつつ、結局、狂気へと陥落していく押さえた演技も中々である。

実に暗く、いかにものヨーロッパ映画という作劇。明るい日差しが、一切、描かれない心の暗雲のみを具象化した重苦しいドラマ。

余談雑談 2020年6月13日
入院中に新発見である。何ね、巷ではとっくに有名な「貴殿に歯磨き粉」とかいうサイト。 自撮り動画をアップして広告収入で金稼いで有名になった人やら、売れようと必死のパフォーマー系などいて、過激な行動で、あちらこちらで騒ぎを起こして大迷惑てな印象