スタッフ
監督:セルジュ・ブールギニョン
製作:アーロン・ローゼンバーグ
脚本:セルジュ・ブールギニョン、オスカー・ミラード
撮影:ジョー・マクドナルド
音楽:エルマー・バーンスタイン
キャスト
スウェンソン / マックス・フォン・シドー
シルヴィア / イヴェット・ミミュー
ブライアント / エフレム・ジンバリスト Jr
カバジャル署長 / ギルバート・ローランド
ロペス / エミリオ・フェルナンデス
ホアキン / ヘンリー・シルヴァ
ルイ / ニーノ・カステルヌオーヴォ
パトローン / ロドルフォ・アコスタ
老人 / ジュリアン・リヴェロ
日本公開: 1968年
製作国: アーロン・ローゼンバーグ作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
「ワイルドバンチ」(1969)はアメリカから押し出されるようにメキシコに来た男たちを描いた作品だった。今回も同じように居場所がなくなり、流れてきたひとりの男が主人公。メキシコを舞台にした何とも奇妙な味わいのアクション。
メキシコ、イティパンゴ
アメリカの冒険家スウェンソン(マックス・フォン・シドー)は賭けに負け、飛行機を取り上げられた。
その機を買い戻すべくメキシコに渡り、薬品の空中散布の職に就くが着地に失敗し、給水塔を壊した上、機を大破させてしまう。しかも警察に連行され署長のカパジャル(ギルバート・ローランド)から給水塔の弁償を厳命された。
一切、首が回らなくなったスウェンソンだったが、連行直前に小児誘拐殺人容疑で指名手配されているブライアント(エフレム・ジンバリスト Jr)が女性連れで奥地へと向かう姿を目撃していた。彼には50万ドルの懸賞金がかけられていると知ったスウェンソンは、署長に賞金を山分けにするなら一緒に追跡するぞ、と提案。
平凡な日常に飽きていた署長は部下を連れ、一緒に逮捕に向かおうとするが・・・
殺人容疑者を追う男たちの欲望を描くアクション作。
金が欲しい流れ者。日常に閉塞感を覚えている警察署長。問題ありそうな部下の警官三名。
計五名で追跡を始めるが、途中車を乗り捨てて馬で不毛の山岳地帯に向ったと知る。そうなればこちらは地形を熟知している身上。果たして二日ほどで恋人と一緒に居るところを発見し確保。
しかし実は無実であり、それでも金目当ての人間らから逃げるためにメキシコまできていたと判明する。それが真実ならば裁判で証明すれば良いことだと署長が言い、町へ戻ろうとする。
ところが部下の巡査部長が『生死に関わらず賞金50万ドル』と知り、態度を豹変させる。
さあ、他の者たちはどちらに付くのかというサスペンスと、道中での自然の脅威が圧し掛かってくる。
解りやすい人間の脆弱さと身勝手な欲望が何を生み、何を捨てさせていくのか。ところが設定から展開や人間ドラマを含め、目新しいものはない。
そもそも主役がマックス・フォン・シドーというのも弱い気がする。タフさがない印象なのに冒険家。ただし、署長役のギルバート・ローランドは戦前から活躍する俳優でこれは適役。部下の警官には「ワイルドバンチ」(1969)の敵の将軍役など悪役専門のエミリオ・フェルナンデスだし、更にこれまた悪役専門のヘンリー・シルヴァに、イタリア系のニーノ・カステルヌオーヴォなど実に魅力的な脇が揃っていて期待してしまった。
監督はある意味ロリータ映画だが、秀作「シベールの日曜日」(1962)のセルジュ・ブールギニョン。あちらは白黒画面の使用法が完全に水墨画であり、そこで少女と青年の双方が脆い状態での純愛ドラマが、逆にサスペンスを喚起させつつ進行するので、本作もどこか同じティストを期待してしまった。
ところが、残念なことに主人公を筆頭に全員が人間としての造詣の深さや、畏敬の念が感じられず定石通りで誰にも肩入れができないのだ。
カラーの美しいショットや、山岳地域のカメラワークや編集はアメリカ映画とは一線を画すので僻地感と枯渇感が漂うのだが。
しかしながら全体としてバランスに欠ける。それは例えば英語とスペイン語が半々という、ある意味リアルなのだが、言葉を知らないと混乱する。ここでもどこか白人優位の褐色人種に対する差別的卑下の視点を感じさせる。
それに生きたいという願望や欲望丸出しの性格が単純過ぎて、それなりの年齢の人物たちなのだが、人としての過去が感じられず、結局薄っぺらい人物像ばかりで、心の居心地が悪い。
ラストも何とも不思議だし、そんな落しどころで観客が納得すると思ったのかと首を傾げたくなった。
映画としては破綻していると言わざるを得ない凡作なのが残念。