余談雑談 2025年1月18日

少しだけ夜明けが早くなった。

最強寒波が来襲中でもあるので、春に向けての明るい兆しかもしれぬが、これを過ぎれば酷暑の前哨戦開始かもねと匂わす気象予報士がいた。激しく同意てな感じもする。

こちらは嫌だと思えば無理をしなくて済む人生に舵が切れて、何と幸運と思っている。逆に寒くても暑くても嫌でも働いたり、無理にでも出歩かないといけない人は大変だろうなと思っていたが、それすら楽しむ奴もいるんだと驚いた。

年賀状のやり取りだけで10年以上も会ってない同級生。今年も送ってよこして、まだ働けるうちは働きたいから、再々雇用で頑張ると書いてあった。

凄い奴だ。何せ、こちらは仕事なんか大嫌いで働かずに生きていくことにまったく罪悪感がない。だからイタリアのナポリに行ったときにここで暮らせると痛感したっけな。

何よりも「好き好んで」が大好きだ。以前より高級な食事や美女侍らせて豪遊なんぞのワガママ・レベルを相当量落としても、少しでも無理なんぞせずを最優先に他人に嫌われようが構わず、ラクな方に舵を切りたいタイプ。

しかもそういうことには即座に実効性が伴う。故に、好き勝手に生きていられることは何と贅沢だろうとも感じてはいる。一方で、人生にメリハリが出ないのも事実。

例えば、よく聞く「頑張っている自分へのご褒美」。確かに何も頑張らない自分はご褒美はなしね、と突き付けられてる気もする。

でも、昔ほど金銭的にも肉体的にも衰えたことは受け入れるにしても、それ以上に他人様より強運と幸運が長続きしているとも感じる。結果、現状から顧みてもマアマア的な人生。

今までの人生のトータルを二で割ったら、真ん中よりも、かなり上にいると思わないと罰が当たると謙虚さが必要だよな。

そういえば今や格差社会になったが、前世紀では一億総中流とも言っていた時期もあったよな。当時、父は「うちは中の上」と言っていたっけ。つまり恵まれた環境で生まれ育ち、何やかやの紆余曲折があっても、極端に落ちることもなく今でも平気で生きていられる。

それをベースに考えると、今後は無理をせず運を無駄に使わないことに専念するべきだな。だからギャンブルもしないし夢も買わない。

「買わなきゃ当たらない」という人には真顔で返答する。「買わなきゃ外れない」と。当たる外れるはどっちの確率が高いのかねと。

人によっては、そんなんで何が楽しいのかと言う御仁もいようが、悪いが他人のために生きてないんでと答える。だから大当たりしても奢ってとは言わぬし、金の無心に来られて、貸さないと死んでやると言われても平然と放置できる自信もある。

だから嫌われても致し方ないんですよ。しかも自分の強運は温存できると信じているし、継続するにはイチかバチかの運試しはしないのが条件だろうとも。もしするなら、外れるとか負けると確信してからするべきじゃないかな。

それが出来ないから困るんだよという人とはお近付きになりたくない。間違いなく、他人の強運を奪っていくタイプだとも知っている。

それでも、なるべく決断は避け、どこかで納得点を見つけて折り合いをつけるだけ。

ある意味、何とも日本人ぽいかな。

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