スタッフ
監督:ピエトロ・ジェルミ
製作:ルイジ・ロヴェーレ
脚本:フェデリコ・フェリーニ
撮影:レオニーダ・バルボーニ
音楽:カルロ・ルスティケリ
キャスト
カンマラータ / ラフ・ヴァローネ
バルバラ / エレーナ・ヴァルツィ
ドーリ / サロ・ウルツィ
バリッラ / フランコ・ナヴァッラ
ローザ / リリアーナ・ラッツァンツィ
ムースコ / サロ・アルチーダコノ
ロレンツァ / ミレッラ・チョッティ
ブラーシ / パオロ・レアーレ
モンミーノ / レナート・テッラ
日本公開: 1953年
製作国: イタリア ルクス作品
配給: イタリフィルム、松竹
あらすじとコメント
前回は恐慌時代に職を求め北米大陸を横断する家族の物語であった。今回は貧鉱の人々がイタリアを縦断し職を求めてフランスを目指す話。
イタリア、シチリア島
とある硫黄鉱山が閉山された。妻に先立たれ、小さな三人の子供を育てるカンマラータ(ラフ・ヴァローネ)らには死活問題で炭坑内でストを決行したが、硫黄被害の所為で三日でリタイア。
結局、村中の男たちが失業してしまう。そんな折、斡旋屋のドーリ(サロ・ウルチ)がやって来て、フランスに高収入の仕事があるがどうすると言ってきた。ただし彼が言うには旅券も持たない住民たちだから北部の山岳地帯から密入国することになるがそれでも行きたい奴は自分が責任をもって随行すると。戸惑う村民たちだが、結局、子連れのカンマラータを筆頭に多くの人間が行くことに決めた。
当然、手数料が必要であるので家財一切を売り全員が退路を断っての道行きだ。そこに村の娘で犯罪者の男と付き合い勘当されたバルバラ(エレーナ・ヴァルチ)も密かに同行を申し出た。
ドーリはバスを仕立て途中でバルバラの愛人を拾うとメッシーナ港から本土へ渡り、更に夜行列車でナポリ、ローマと北上していくが・・・
とある集団の絶望的な行程を描く力作。
元々イタリア国内でも差別を受けてきたシチリア島民。
一攫千金とも違い、ただ生きていくために怪しい口入屋の口車に乗り、不法移民としてフランスに行こうとする寒村の一行。そこに元鉱員ながら犯罪者になったヒモ男も加わり、すぐに雲行きが怪しくなってくる。
果たして口入屋は実は詐欺師であり、ナポリで一行を見棄てて逃亡を図るがヒモ男がそれを見抜き、ローマまで強制的に同行させる。しかも自分と愛人のみを助けろという強迫付きで。
何も知らぬ主人公らは夢と希望に満ちて長距離列車で移動するが、ローマで口入屋が裏切ったことから暴力事件に発展し全員が警察送りとなってしまう。
こうなると本作が不安定要素ばかりが強調されていき、悲劇へと向かって行くと確信するだろう。
その通りに次から次へとトラブルに見舞われ、参加者が散り散りになったり、無知で無謀な田舎者と石まで投げられる展開となって行く。
国境で待つといって一人だけで先に逃げるヒモ犯罪者を忘れられない娘が、やがて主人公の子供を介して惹かれ合っていく。しかし、それすら一筋縄ではいかないだろうと想像が付く。
それでも進むしかないのだが。何とも暗い展開ばかりながら、緩急の付いた進行を見せていく。監督は庶民の悲劇性を得意とするピエトロ・ジェルミ。
まさに市井の人間の哀しい境地を主軸に据え、それを取り巻く人間なり環境が悲劇性を加速させていく作品も多い。
そこにこそネオ・リアリズモの品性が漂う。とはいえ、大雑把さが優先しエピソードの強弱さ加減も激しく、流れるような編集のリズムもない。そういった展開が、何かにつけ行き詰ったり端折り感が醸されてしまい、一定の流れとして素直には乗ってはいけない。
それでも、だからこその不器用というか、無学なる情報難民として描かれていくことでリアリズム感を強調させてはくる。
出演者全員に妙なヴァイタリティがあるのも妙味である。それもそのはず、登場人物の多くは職業俳優ではなく、実際のシチリア島民なのだから。
それを考えると出演陣に調和的演技によるアンサンブル感はないのだが、逆に、だからこそのリアリティに満ちた存在感がある。
これがイタリア意外だと素人の存在感は妙に浮き上がってしまうとも感じる。
まさに国民性であり、恐らく市井の素人だから大都会ローマや途中の田園風景や終盤の雪山など、一々初めてという驚異の目で驚いてく姿に、素直な反応なのだろうなとも感じる。
個性を重視するというか、身勝手さが勝りそうなイタリア素人を捌き、悲劇性を前面に押しだしながら謳い上げる作品であり力作と感じる。
ただし、希望を感じさせはするが、ゆえに逆の不安も喚起されるラストが弱く、そこいらが上手く転換できていれば秀作になったであろうとも思う。
