余談雑談 2022年12月12日

今回の都々逸。

「紙の雪でも降らしてみたい 降れば泊まってくれる人」

来るには来るが、何時も泊まらずに帰る。やはり愛人か妾の立場ですよね。だとして、相手はどんな立場か。

雪だと泊まれるってことは仕事柄か、それとも、交通手段に問題アリとか。そもそもいつの時代でしょうかね。大昔でないなら、場所は東京以西のある程度の都会で車で来てる彼氏さんか。チェーンやスノータイヤ装着でないから泊まってくれる。

でもさ、翌朝少しでも積もっていたらもっと車じゃ無理だろ。まあ自家用車じゃなくてもタクシーもある。どの道、雪が積もれば帰りづらいだろうが。

靴だってそれなりじゃないと滑るよな。そもそも雪予想で愛人か妾のところに行くという発想自体が命懸けか。いやいや、雨靴なりを妾宅に常備とか。

どうせ、自分には縁のない相手というか世界。どうも妬み先行だと、そんな男はどっかの誰かさんじゃないが、雪道で滑って骨折。結果、救急車で緊急搬送の大騒動になって周囲にバレて、ザマァ見ろ的な発想が浮かぶ。

それとも、遥か昔の大正とか昭和初期か。ならば時代自体が鷹揚で、本宅も仕事先も雪模様で社会全体が止まるから、致し方ない。それに、そんな時代は男なんぞ家庭持って当たり前、妾を持ってこそ一人前と冗談半分、憧れ半分で言われていたらしいから。

まあ、紙の雪でもと言うあたり、願望自体が「その程度」の発想力で、相手もそれなりとか。

でもな、それだって、どこか羨ましい。何て考えてると本当に雪が降ったら、またぞろ滑って救急車のお世話になるかもな。ふと、じゃまた女医さんに会えるか。否や、怒られるか、呆れられるな。

せめて靴底がすり減ったものを大事に履き続けるのではなく、新たに買うべきか。確かに一理あるな。数十年前にイタリアで買った流石の高級革靴などスーツも着なくなった今、履くことは無くなった。それでも、いつかのために上層部をピカピカに磨いたところで、靴底がツルツルじゃ本末転倒か。

そらみたことか。ほら、やっぱり転ぶんだ。

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