スタッフ
監督: 成瀬巳喜男
製作: 藤本真澄
脚本: 田中澄江、井出俊郎
撮影: 玉井正夫
音楽: 斉藤一郎
キャスト
梨花(お春) / 田中絹代
つた奴 / 山田五十鈴
勝代 / 高峰秀子
染香 / 杉村春子
なな子 / 岡田茉莉子
米子 / 中北千枝子
お浜 / 栗島すみ子
岩津 / 宮口精二
高木 / 加東大介
佐伯 / 仲谷昇
製作国: 日本 東宝映画作品
配給: 東宝
あらすじとコメント
この前の「旅路」でも例をだした日本の映画監督成瀬巳喜男。昔の邦画を見ない人にはピンと来なかったに違いない。それで、番外編として扱うことにした。監督の作品の中でも大好きな逸品。
東京の下町にある花街、柳橋。ここで小さな芸者置屋「つたの家」を営む、つた奴(山田五十鈴)の元に、新しい家政婦が紹介されてきた。梨花(田中絹代)である。
「つたの家」には、中年の染香(杉村春子)、今風な若いなな子(岡田茉莉子)の二人の芸者の他に、つた奴の妹で子持ちの米子(中北千枝子)、芸者家業を嫌う娘の勝代(高峰秀子)がいた。しかし、時代に押され、いい加減な上に気位だけは高いつた奴ゆえ、家計は火の車。
そんな「つたの家」につた奴の姉が借金の督促にやってくる。しかし、家はとっくに抵当に取られ、稼ぎも少なく払えようはずもなかった。その上、上前をピンハネしていたと辞めた芸者の叔父(宮口精二)が乗り込んできて・・・
様々な『黄昏』を静かに、だが、見事に描ききった日本映画の至宝。
白黒スタンダードの画面に繰り広げられる、当時の当り前の日本人たち。だが、その中で一般人と違う視点で生きている女たち。『芸者』である。そもそも現代では、「芸者」という職業や「花街」という言葉にも馴染みがないだろう。
「花街」は『三業地』とも呼ばれ、芸者を呼ぶ場所の「料亭」、彼女たちに仕事を斡旋するマネージメントの役割の「見番」、そして芸者を抱えるプロダクション的「置屋」。これらの三つの生業がある地域を指した。
本作は「置屋」に家政婦としてやってきた苦労人の中年女の目を通して、華やかに見える芸者たちの日常を描いていく。
いかようにでも起伏をつけられる視点を敢えて排除し、淡々とした日常として描きだす、否や、紡ぎだす成瀬監督のゆるやかな優しさと背筋が凍るほどの冷静さ。特に女性を描かせたら日本最高峰の監督といわれ、ハッピーエンドが極端に少ないことから「やるせなきお」とも揶揄された。
その監督の力量が見事に昇華した一本と呼べよう。しかし、映画は総合芸術である。監督の才能がひとり歩きしても傑作にはなり得ない。それを理解し見事に作品に命を宿すスタッフ、キャストの素晴らしさ。
メリハリが効いて行き届いた照明。心地良い空間を残すカメラ。セットとは信じられないほど、当り前の質感をだす美術。
また、キャストの見事さは筆舌に尽くし難い。今の人にはピンと来ないかもしれないが、当時の日本映画を代表する超豪華な女優陣。戦前から活躍していた田中絹代や山田五十鈴。絶大な人気だった高峰秀子。そしてサイレント時代の大女優、栗島すみ子。その他の女優もみな、『お見事』のひとことに尽きる。
このことを今の人にちゃんと伝えられないのがもどかしい。なぜなら、昨今の女優では例えようがないから。例えば、「この映画のために~を特訓しました」的な演技をする人間は誰一人いない。全員が当り前のように全てをこなす。このことだけでも、昨今のタレントなり、女優たちが持ち得ない『役者として当然』という余裕だろう。
だから、見ていて鳥肌が立つほど気持ち良い。三味線を弾く場面では、ちゃんと弾いている姿全景を写す。昨今は、女優のアップを写し、三味線のアップに切り替わるという手法が多い。それは三味線を当り前のように弾けないし、着物姿での所作、背筋の伸ばし方など、ひとりの役者である前に、普通の日本人としての資質が違うからだろう。
また、本作では男優たちの見事さも挙げられよう。黒澤明の「七人の侍」(1954)を見たことがある人間がこの映画を見れば、驚嘆するに違いない。あちらで侍役を演じていた宮口精二と加東大介が本作にも出演しているが、同じ役者とは思えない演技を披露している。いやはや当時の『役者の幅』には絶句する。
そういった人間たちが作り上げた作品。女の底冷えのする冷たさといやらしさ。一方の男たちの身勝手極まりない生き様。当時、すでにアメリカナイズが浸透し始まっていた東京で、失われていく芸者という職業。そして不便さと貧乏を伴った下町風情。自分が、本作の舞台になった下町のすぐ近くで育ったから、強く、そう感じるのもしれない。
それでも、当時の町並や、ゆっくりと流れる空気感の心地良さ。コロッケひとつ取っても、隣の中華そば屋への出前の頼み方のひとつを取っても、一々頷ける等身大の世界。そして高い建物がなく、すぐ頭上に広がる空。すべてがなくなり、消え去った。
物語の起伏はほとんどなく進行するので、つまらないとラストまで見られない人もいようし、若い人には古すぎて理解不可能な部分も多いかもしれない。だが、そういった人たちも行く行くは歳を重ね、感慨に浸る日が来る。そのときに思い出すのは何なのだろうか。
思い出がある人間は幸せかもしれない。しかし、それでも日本人として、失ったものは大きいと痛感し、途方にくれる傑作。