今回の都々逸。
「豆をまいたら鳩寄るけれど マメな人にも人が寄る」
今回の映画紹介で思い出した。昔、浅草寺の境内に「鳩の豆」売り場があった。
平和の象徴とも言われ、大きなイベンドの開会式では鳩の群れを一斉に放ったものだ。
それが今や『害獣』扱いで、とっくに浅草寺から売り場は撤去され、更にどうやら間引きをされたとも聞く。
ドイツでは鳩は「空飛ぶネズミ」と言わるとか。糞害で歴史的建造物で使用されている大理石に甚大な被害を及ぼすからだとか。
公園でも「エサをあげないで」と大きく書いあるし、浅草の松屋デパートなど、よく見ると鳩が止まりそうな場所に釘が縦列に設置されていて浅草寺からの避難場所に使われないようにしている。
事実、通行人の頭上に平気で糞を落として多くのクレームが届き問題視された。
まあ、この都々逸は鳩の餌やりからの発想だが、マメな人間だって今や東京では嫌われるかもな。しつこいとか呼ばれて。
「人情」とか「思いやり」とかいう感情は、意味わからぬと忌み嫌われる時代だろうし。面倒臭いし、個性とかもそれぞれで知ろうともせず、己の世界に没頭。
良いじゃないか、人力車に乗って観光ガイドをしてもらい、どこか他人を小バカにした中途半端な丁寧語的話し方に素直に頷ける。
何が美味しいとかどこか目るべき処はと尋かれても答えようがない。しかも、これはあくまで善意でだぞ。
つまり昔を知る人間からしたら、建造物の一部は現存しているが、中身は全く違う存在。新旧一体といえば良いのだろうか。尤も、これはどこに観光地も同じか。
「張りぼて」でも、それなりに楽しめるのは千葉県某所にできて、もう40年以上にもなる混雑していて並ぶのが当たり前という刷り込みもされた夢の国からの価値観扇動だろうが。それでも素直に楽しめる。自分なんぞ、金貰っても行きたくないが。
つまり、地域とは街も住人も全体で作り上げるものという超古い自分の価値観からすれば、何も残ってないとしか言いようがない、ということ。
でも、ボランティアガイドになって少しでも良い所を紹介してくれる人もいる。そういう方には頭が下がる。
それこそ「マメ」な性分なんだろうなと。


