スタッフ
監督:リチャード・フライシャー
製作:ロバート・フライアー
脚本:エドワード・アンハルト
撮影:リチャード・H・クライン
音楽:L・B・アボット
キャスト
デサルヴォ / トニー・カーティス
ボトムリー / ヘンリー・フォンダ
ディナターレ / ジョージ・ケネディ
ソシュニック / マイク・ケリン
マッカーフィ / マーレイ・ハミルトン
ダイアン / サリー・ケラーマン
ハントレイ / ハード・ハットフィールド
ブラムリー / ジョージ・ファース
メアリー / レオラ・ダナ
日本公開: 1968年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
前回の「バルジ大作戦」(1965)での主役ヘンリー・フォンダ。主役でも脇でも光り、存在感も抜群の俳優である。今回は脇役ながら彼らしい演技を見せるドラマにしてみた。
アメリカ、ボストン年配女性がアパート自室で絞殺され、死後にレイプされる事件が発生した。警察は異常な事件に色めき立ち、捜査を進めるが進展しなかった。すると、同じ手口で年配女性が絞殺される連続殺人事件へと発展してしまう。
業を煮やした警察上層部は検事総長補佐のボトムリー(ヘンリー・フォンダ)を捜査本部長に任命。継続して地道な捜査が進められるが、一向に手掛かりは見つからない。
そして、今度は若い女性ばかりが絞殺される事件が連続し始めて・・・
連続殺人事件を追う警察の焦りと意外な犯人像を描く異色作。
実際に起きた連続殺人事件なので、映画は割と早く、しかも唐突に犯人を知らせてくる。
要は単純な謎解きドラマではないのだが、では後はどうやって警察が犯人に辿り着いていくかという展開。
それだってありがちた。ただ、妙味があるのはリチャード・フライシャーによるシャープな映像と幾つもの事象をマルチ画面で見せていくという手法。
つまり、観客はいくつもの画面を追いながら、頭の中で整理していくという、些か疲れる進行ではあるが、それでも各々の俳優たちが見せる演技で、サスペンスと不条理感を際立たせていく。
真犯人は、いかにもの悪者でないので周囲はそれに全く気付かない。だからこそ警察も中々辿り着けないのだが、秘め持った異常性をこちらには伝えてくるので悪寒を催す進行。
しかも、重要参考人として取り調べを受けるが、そこでも犯人の異常性が喚起され続け、もしかしてこの様子では「刑事責任能力」の欠如による立件の可否というサスペンスが加味されていく。
丁寧だが、斬新な分割画面という進行を見せるので、情報量が多く、逆にこちらが混乱してくるという作劇。
確かに当時としては新鮮味もあり、犯罪サスペンスから心理ドラマへとシフトしていくので新たな意欲作と感じる。
監督のリチャード・フライシャーはドキュメンタリー出身で、以後、数々の作品を手掛けてきて、本作は脂の乗っていた時期の作品。
本作以前はSF作品で意表を突いた「ミクロの決死圏」(1966)や、コメディ色の強い「ドリトル先生不思議な旅」(1967)を手掛け、以後も、アクション系が多いが、そこそこの作品を監督してきた印象がある。
確かにドキュメンタリー出身らしい構図も多用され臨場感もあり、そこに刑事ドラマの秀作「裸の町」(1948)の影響も強く感じられる。
本作は、有名作というスタンスではないが、上手く出来た意欲作であり、真実がそうであったように、未だに議論される責任能力有無の是非を突き付けてくるドラマ。