先週行ってきた沖縄オジサン二人旅。特に、渡嘉敷島滞在中は晴天に恵まれた。
その離島滞在では、シュノーケルから釣り、更には満天の星空も堪能したが、二日とも昼間のメインは、老母と息子でやっている古臭い海の家で、来客があると多少、手伝いつつの「飲んだくれ」。しかも、店の親戚のように扱われ、サービス品が出てきたり、勘定自体も原価割れだろ的価格。こういうところも、都会とは違う。
他にも、興味深い体験をした。定宿である民宿で一緒だったグループだ。
六名の男性たちだったが、見事に全員が全身刺青だらけ。しかし、「その筋」という態ではなく、殆どが三~四十代で、優男風というか、どこかアーティスト系のイメージ。
後で知ったが、全員が『彫師』だった。それこそ首や指先、果ては掌まで彫り物があり、自身の体をキャンバスにして、お互い彫り合って、ある意味、作品見本としているのだろうか。
その中で、一番若い彫師と盛り上がり、果ては、自分のことを、本当は大会社の社長でしょ、と訳の解らぬことまで言われた。「その筋」系に見られることはあっても、まさか、タバコ屋のオジサンに何故に。
まあ、来島前夜に冒険と称して飛び込みで入店した那覇の怪しいスナックのママには、アンタは地元の人だろ、と言われ、同行した現地の飲み仲間からは「カメレオン人間」と揶揄されたりしたが。
渡嘉敷島では那覇に戻る前日の夕方、ふらりと店に来た二十代の青年がいた。おばあさんと何やら話して、呼ばれた。青年は同じ慶良間諸島の「座間味島」に行きたいが、遠回りして一度那覇に戻ってからしか行けないと思っていたようだ。なので、詳しく説明してやってくれと。
実は、当初の計画では、いつも通り、午前中の高速艇で那覇に戻りたかったが、当日はメンテナンス中で欠航。
同行者もいるし、困惑して色々と調べたら、四年前に、渡嘉敷島から見える「阿嘉島」を経由し、座間味に行ける村内航路が就航したことを知った。しかし、完全予約制で、予約がないと立ち寄ってももらえない。
上陸は出来ないが、行ったことがない場所だし、違う海の景色も見られると同行者と相談し、予約しておいた。そのことを店のおばあさんに言っていたので、説明してやってと。
青年も乗船したがったが、時間は五時ちょっと前。予約する役場の終了時刻も間近だ。店では電話番号が解らないと言うので、自分の民宿まで付いてこいと進言。
二人して店を辞し、道すがら話したら、何と宿無し。要はノープランで渡島し、座間味島でも二日ぐらい滞在したいが、やはり無計画とか。
小さなリックひとつで、身なりもそれなりでバックパッカー的ではない。テキトーに宿を探しますと平然と言い、ダメだったら浜で寝ても、この気温なら死にはしないでしょ、と。
何とも、大らかというか、冒険家。でも、逞しくは見えない、か細い青年。宿で予約先を教えて、縁があれば翌朝会おうと笑って別れた。
ところが夜半に大雨が降った。さすがに浜では寝れなかっただろうと思いながら船着き場に向かった。フランス人男性二人組、四十代と六十代のひとり旅男性、中国系女性二人組が同船するらしかった。
すると、後ろから肩を叩かれた。かの青年だった。夜まで浜にいたが、雨が降って来たので、飛び込みで宿に泊まれたと。彼にとっては普通の経験なのだろう。
小さなプレジャー・ボートを改装した船舶で、40分ほどで座間味島に到着。こちらはすぐに那覇行の高速艇の予約に行くので、頑張れよ、旅する青年と言って別れた。
旅に一期一会は付きものだが、彼は未だ沖縄あたりを彷徨っているのだろうか。若い時期に旅をするのは良いことだ。存在感の薄い青年だったが、行動力は大したもんだ。また、どこかの旅空で再会したいね。
那覇に戻った夜は、数年前に行った本来は冬だけの食べ物「沖縄おでん」を一年中出す古い居酒屋に行った。かなり古い、いかにも沖縄風作りの一軒家だ。
観光客は少ない店で、まるで田舎の親戚の家のような感じ。子供の玩具やマンガ本が無造作に転がっていて、悪く言えばボロ家。まるで営業してるとは思えないが、個人的にはそういう店が肌に合うし、美味しいと感じるのだからしょうがない。
友人も面白がってくれたが、帰ろうとしたら主人に大雨だから待ちなよと言われた。すると天井のあちこちから雨漏り。一昨年の自室を思い出し、苦笑したが、それも面白い体験だった。
やっぱり、これだから沖縄旅は止められないんだよな。