スタッフ
監督: クロード・シャブロル
製作: クロード・シャブロル
脚本: クロード・シャブロル
撮影: アンリ・ドカエ
音楽: ポール・ミスラギ
キャスト
シャルル / ジェラール・ブラン
ポール / ジャン・クロード・ブリアリ
フロランス / ジュリエット・メニエル
クロヴィス / クロード・セルヴァル
ジュヌヴィエ-ヴ / ジュヌヴィエーヴ・クリニュー
イヴォンヌ / ミッシェル・メリッツ
本屋の主人 / ギィ・ドコンブル
フランソワーズ / ステファーヌ・オードラン
ミネルヴァ伯爵 / コッラード・グアルドゥチ
日本公開: 1959年
製作国: フランス アジム・フィルム作品
配給: 東和
あらすじとコメント
前回の「フランス式十戒」(1962)のラストの挿話で、『昨今流行のヌーヴェル・ヴァーグ風』と劇中の台詞で揶揄され、その主人公を演じたジャン・クロード・ブリアリ。その元となるイメージを作り上げた元祖ヌーヴェル・ヴァーグ作品の一本。
フランス、パリ。プロヴァンスの田舎町から大学の試験を受けるためにやって来たシャルル(ジェラール・ブラン)は、やはり試験を控えたいとこのポール(ジャン・クロード・ブリアリ)の部屋に居候することになる。
しかし、ポールは「人生を適当に楽しくやる」がモットーの若者で、仲間たちと連日遊び呆けていた。シャルルが来る前も、20歳のフロランス(ジュリエット・メニエル)の妊娠の相談を適当にはぐらかしていた。一方のシャルルは、真面目を絵に描いたような若者で、初めての都会に戸惑っていた。
翌日、友達に紹介するからとポールに連れて行かれた先で、フロランスを認めたシャルルは・・・
フランス映画に革命をもたらせた『ヌーヴェル・ヴァーグ』の走りとなった作品。
パリという都会に住み、「我が世の春よ」とばかりに無軌道に遊びまわる若者たち。酒を浴び、男女間のセックスも挨拶みたいなもの。仲間内のパーティーを盛上げるためには、仕事相手のイタリアの伯爵や、トルコ人の大道芸人さえも、余興相手として弄ぶ。
エピキュリアン(享楽主義者)たちの宴は、昼夜問わず、気が向けば行われる。ただし、この乱痴気騒ぎは、アメリカ人や日本人のそれとは完全に一線を画している。つまり、スノッブで格好イイのだ。
この違いは、むしろ憧れの対象として捕らえられる。そんな世界に、地方から生真面目な学生が放り込まれてくる。そんな主人公は、母親に手紙を書き、近所の書店で真面目な本を見比べる。書店の主は、昨今のパリには存在しえないタイプだと、一瞬で『地方出身者』と見抜く。しかし、店主は暖かい視線で主人公を励ます。
一方で、いとこの色男は、何とか主人公をパリジャンにしようと粉をかけていく。しかし、主人公とて、年頃の若者だ。そこで、アンニュイな女性に一目惚れしてしまう。
ところが、彼女がどのようなタイプなのかを知らない。そして主人公以外は、全員が彼女の素性を知っている。そんな彼女も、初めて接する好青年に興味を抱く。
ストーリィ的には、どこか破綻しながら、『普通』とは確実に違う、『風情』を持つカットの連続。どこか無軌道でありながら、単なるバカではないという妙な格好良ささえ漂う。
周りに振り回されながら、自分はバカでないと思い込みたいタイプとも違う。自分は完全に他人とは違う、ということを見せ付けるために、敢えて、反社会的な価値観を試そうとする。
ゆえに、本作で描かれるパリの人間たちは主人公の名前を覚えようとせず、『いとこ』と部外者のように呼ぶ。そういうことで自分の存在意義を表現しようとする若者たち。
監督のクロード・シャブロル自身も映画の登場人物と、ほぼ同年代。今見ると、やはり時代の流れの早さを感じるストーリィ展開だが、その暗喩する勝者と敗者の差は人間同様、単純ではなく、漠然とした曖昧さゆえに『個性』となる原理があると言いたいのだろうか。