五歳長兄の知人と酒を飲み、ふと映画談義になった。俎上に上がったのは日本映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の第一作。
知人は好きな作品で涙したと言い、自分は相容れない作品だと答えた。彼も自分も東京で生まれ育ち、舞台になった時代の名残りは朧気ながら知っている。
あの時代は東京のあちらこちらで、白い服を着て戦場で腕や足を失った傷痍軍人がハーモニカを吹いて金を集めていたり、三十代の男より老人や戦争未亡人といった女性が多かったし、戦場での殺傷経験者はどこか陰影を伴っていたという戦争の傷あとが当り前のように残っていた。そういった事実の映画での触れ方で議論になった。
彼は知っているからこそ、嫌な思い出に触れなかったことが素直に感動できたと言い、自分は知っているからこそ、決して単なる良い時代ではなかったことをもう少し描いて欲しかったと。
どうしてオマエはそういう風に斜めに映画を見るのかと詰問されたが、それが映画ライターとしての自分の信条だと答えた。職種は違うが、お互いにフリーの仕事をしている。これがまたサラリーマンだったら違う意見がでていたかもしれない。続編が公開中だ。映画館に足を運んでみようという話で落ち着いた。
ただ、共通して最後にお互いが納得したのは、戦争はいけないという一点だった。