スタッフ
監督:ジョン・スタージェス
製作:ジョン・スタ
ージェス
脚本:ウィリアム・ロバーツ、W・バーンスタイン
撮影:チャールズ・ラング Jr
音楽:エルマー・バーンスタイン
キャスト
アダムス / ユル・ブリンナー
カルヴェラ / エリ・ワラック
ターナー / スティーヴ・マックィーン
チコ / ホルスト・ブッフホルツ
オライリー / チャールス・ブロンソン
リー / ロバート・ヴォーン
ブリット / ジェームス・コバーン
ラック / ブラッド・デクスター
長老 / ウラジミール・ソコロフ
日本公開: 1961年
製作国: アメリカ ミリッシュ・カンパニー作品
配給: ユナイト
あらすじとコメント
「シェラマドレの決斗」(1966)は敗残兵の白人がメキシコの寒村にくる話だった。その設定だと兵士ではないが、すぐに浮かぶのが本作。日本の「七人の侍」(1954)を換骨奪胎した作品で、後に多くの有名俳優を輩出した映画でもある。
メキシコ、イスカトラン
寒村で生きて行くのがやっとな村ながら収穫時期になると決まって野盗団が掠奪に来た。しかし武装集団に太刀打ちできるはずもなく、されるがまま状態。
そこで長老は自衛が無理なら白人ガンマンを雇えと。しかし、そんな金はない。ならば村が全滅するのを許容するかと問われ、有志がアメリカまで出向いた。
白人ガンマンに馬鹿にされながらも信用に値するアダムス(ユル・ブリンナー)とターナー(スティーヴ・マックィーン)を見初めた。しかし、無理な相談だと即座に断られ・・・
ガンマンたちが寒村の農民を守る有名西部劇。
毎年数少ない農作物やら女性まで搾取される貧農たち。ダメ元で喰い詰めたガンマンを探し、守ってもらおうとする。
当然、ガンマンがメキシコの寒村を守るなんて話は前代未聞である。
それでも憐れみと人情から依頼を受け、立地や相手数から判断して合計7人は必要とガンマンを集め、村に乗り込んでいく。
インスパイアされたのは黒澤明の「七人の侍」(1954)で、黒澤自身が西部劇のような作品を作ったからとも言われている。
ただ日本人の場合、「武士」と「農民」は完全に違う格付けであり、「落ちぶれても侍」という矜持を捨ててまで参加するので極めて稀であったという発想で始まる映画。
一方でアメリカの場合、ヨーロッパなどから新天地での立身出世を夢見たりして遥々流れてきた喰いつめ者たちが多いから、自分からすると白人対有色人種の差という単純発想を感じて違う印象を受けた。
ただし、逆に「異人種集合体」であるアメリカ、しかも西部開拓時代の、個性的人物設定の強みがあるとも思う。
それまでの西部劇の場合、主人公は孤独な流れ者であったり、少人数の仲間や兄弟で、同じ価値観なり目的を持っての闘いになる。それに対し敵側の方が人数的に優位性があり、無謀とも思える対決を挑んでいくのが定石。
しかし本作では兄弟でもなく、何かに対し団結しての復讐劇でもない。
つまり、ある意味有象無象の輩たちが、何故か7人も集まり、縁もゆかりもない他国の農民を助けるのである。
内容よりも個性的な面々を揃えて、誰が死に誰が生き残るのか的妙味なり、肩入れを観客側個人の価値観にゆだねる。
それまでの西部劇では大概は先住民が敵役で大挙して攻めてくるスタイルが多かったが、本作は異国の野盗集団が敵である。しかも本来であれば同国人同士のもめごとに、わざわざ越境侵入し自分らの価値感が同調できる『弱者』を助けるというアメリカ側の正義感の押し付け行為ではなかろうかとも感じた。
つまり、結果として侵略行為。成程、「アメリカは世界の正義」の肯定とも受け取れる。しかも、他人の集合体ゆえに軍隊のように責任の所在が明確でなくても良いという、妙な正当性まで感じる。
本来が分かりやすい作品だけに、アメリカ人にも受け入れやすかったのだろう。
事実、本作以降シリーズ化となり合計4作も製作され、更にTVの連ドラ、21世紀に入って新たに「マグニフィセント・セブン」(2016)としてリメイクされた。
しかし元々は日本の黒澤明によるオリジナルであり、本作も完全に著作権をクリアしていないとも言われる。
それでも本作は娯楽西部劇としての完成度は高く、ジョン・スタージェス監督のメリハリのある演出が冴え渡り、本作から飛び出していった後のスターも多く、やはりそれなりの歴史的評価もさもりなんと感じる作品。