夕なぎ – CESAR ET ROSALIE(1972年)

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スタッフ
監督:クロード・ソーテ
製作:アンリ・シャキヤール
脚本:クロード・ソーテ、ジャン・ルー・ダバディ
撮影:ジャン・ボフェティ
音楽:フィリップ・サルド

キャスト
セザール / イヴ・モンタン
ロザリー / ロミー・シュナイダー
ダヴィド / サミー・フレイ
アントワーヌ / ウンベルト・オルシーニ
マリーテ / イザベル・ユベール
リシュー / エヴァ・マリー・ミネケ
マルセル / アンリ・ジャック・ユエ
カルラ / ジゼラ・ハーン
ナレーション / ミシェル・ピコリ

日本公開: 1976年
製作国: フランス アンリ・シャキヤール・フィルム作品
配給: 東宝東和


あらすじとコメント

「すぎ去りし日の・・・」(1970)のヒロイン役ロミー・シュナイダー。監督も同じクロード・ソーテ。主役だったミシェル・ピコリはナレーターに回り、主役はイヴ・モンタンという組み合わせ。奇妙な三角関係を描くフランス映画。

フランス、パリ

画家の夫と離婚し、一人娘と暮らすロザリー(ロミー・シュナイダー)。彼女の新しい恋人は48歳になるセザール(イヴ・モンタン)で解体業を営むヴァイタリティ─溢れる自信家で、経済力に任せて彼女が好みそうなことを次々と叶えてくれる中年男。

ところが彼女の母親の3回目の再婚パーティーに、彼女のかつての恋人で5年前に突如姿を消しアメリカに渡ったダヴィド(サミー・フレー)が招待されていた。ロザリーにしてみれば、彼を忘れようと画家の男との結婚を選んだのにである。

思いがけない再会に動揺を隠せないロザリー。ダヴィドも意識しているのは明白。でも、何故今更と複雑な心境に陥るが、セザールは一切彼女の機微など気付かず自信満々で皆に接している。

そんなセザールにデヴィドが声を掛けた。「僕は今でも彼女を愛しているし、彼女も同じ気持ちのままだと今日分かった」と。瞬間、意味が解らず・・・

奇妙な三角関係の顛末を描く恋愛人間ドラマ。

30代半ばのヒロイン。48歳の現恋人に年下の元彼氏が絡んでくる。しかも、ヒロインの画家である元亭主も全員を認知というか、許容している。別れたり離婚しても互いを尊重する、ある意味、『大人』。

アメリカから帰国した年下男は漫画家として自信を付けてきた。だからといって積極的に言い寄るでもない。何とも複雑だ。

そんな登場人物たちの中で一番単純なのが何と現恋人。大人のダンディズムを漂わせ、周囲を楽しませる自信家。虚勢を張り大人物を演出しているが、実は気弱で直情型で暴力的にもなる。

これをモンタンが演じる愉悦。実に頼りなく、格好付けで自分の恋人が他の男なんぞに行くわけがないと周囲に言いふらし、その実、独りでいるときは震える。

ヒロインが毛色の違う男二人どちらも好きというスタンスである。人間像として、これがフランス的なのか、はたまたその中でも極少数派なのかと俄かには判断しかねた。

本人はどちらにも肩入れせず、かといって平気で乗換えもして平然としていられる。男たちは複雑だ。

興味深い設定だと感じたのは現恋人のみが成り上がりの金満家に対し、元亭主は画家で年下君は漫画家。つまりに二人は芸術肌。

どうしてモンタン扮する現恋人に心移りしたのか疑問符が付いた。しかし、決してヒロインは誰に対しても直接的な愛の言葉を発しない。まるで暗黒映画の『ファム・ファタール』の如し。

こうなると渡り歩かれる男たちは千々に心乱れて行くことになる。しかし、その揺れ幅が大きいのが最年長のモンタンなのだ。

若い方は芸術家ゆえに掴みどころがないのか、もしくは中年男と同じ土俵に上らないことが自分の勝つ道だと悟っているのか。そして実に信じ難い折衷案的なことを提示してくる中年男。

他の二人は、それに乗るのか乗らないのか。個人的にこの手の人間たちの精神構造とか人生経路は理解できなかった。しかし個性はそれぞれだし、理解できないからといって映画として失敗作ではない。

ある意味、実にフランス映画的でもあり、愛情や人生は、それこそ誰も束縛できぬし、それを理解した上の歩み方があると示してくれている。

観る側のどの程度の人間がこれらの価値観を許容できるかは知らぬ。それでも個人的には、登場人物の誰にもなれないし感情移入も出来ない。それでも、映画としては好きな部類に入るから厄介なのだ。

余談雑談 2024年3月9日
春は来てるのか、どうなのか。 何だか三寒四温の逆パターンのような天候。かといっていきなり暑くなるんだろうなと想像は付く。秋同様に春も二、三週間程度。それでも来るもは来る。 そして来週には13回目の3・11を迎える。今年は元日にも地震の悲劇に