一応、顔を出していたバーゲン。
師走になると招待状を兼ねたハガキが来ていた。それで今年もいよいよおしまいだなという気分にもなる。
メインは衣料品や日用雑貨系だが、毎回凄い人気で区民ホールの2フロアを使用する規模なので、目指す場所のみを少し見てすぐに退散していた。
そのハガキに但し書きがあり、今回が最後のハガキでの案内だと。つまり、次回からハガキ記載のバーコードを読み取ってダウン・ロードしろだと。それが招待状になります。
またかよ、バーコード。というよりも様々な場所でこのスタイルが跋扈。先立ては焼肉屋で人手不足からか読み取ってオーダーのシステムに変更されていた。そのときは店内がヒマで店員が対応してくれて事なきを得たが、それを最後に行くのを諦めた。
どんどん疎外されていく。確かに人口減だし、嫌でも仕事しないと生きていけない時代ではなのかもしれない。電話応対が無理だから会社員を辞めたという若者も増えたとも聞く。
つまり、したくない仕事はしない。接客業もその部類に入って来たのだろうか。間違いなく日本人以外の従業員ばかりが目立つのも事実。フィリピン、中国系が多かったが、今やミャンマーや南米系やらも増加。
そのくせ日本人の方は深謀も辛抱もできなくなりSNSから簡単に申し込める一発高額バイトに引っ掛かり、いきなり犯罪者になってしまう。でも、身分証を取られて家族に危害が及ぶと言われると、それは嬉しいあんな家族は殺してくれとは言えないのだろう。それで実行犯と相成る。
妙に素直なのだろうか。確かに戦後の生きる死ぬと切迫している環境でもなく、周囲に親子ホームレスなども眼に入らないし、冷暖房完備下の生活で何とかなってきたタイプの方が、そちらに流されやすいのかもしれぬ。
『一億総中流』と言われた時代もある。今や一億人を切るのも時間の問題とも言われるし、自分は中流と言う人はどれほどいるのだろうか。もはや戦後ではないと言われたのは随分と昔。今や、もはや先進国ではないと言えるかもだぞ。
バーゲンのハガキを眺めながら、確かに昔ほど外出もしないし、いつもは部屋着でダラダラと過ごしているから穴が開いてようが気にならないし、そうなると買いたいものもなくなったな、と。
潮時なのかもしぬ。それから年賀ハガキもどうなることやら。年賀状じまい、墓じまいと色々と終焉が言われ出した。これも人口減が一要因かも。
確かに年賀状なんぞ生存確認だけ。しかも今頃に喪中ハガキなんてのも増えてきた。親族なりと疎遠な人は生死不明のまま、そういえば年賀状が来なくなったことで推察か。でもって自分で区切りをつけるには、やはりハガキでおしまいの案内状をだすことになるか。
乾燥が進み、クリアな朝焼けを眺めつつ、カサカサと音がするのは体か心か。
色々と余計なこと考える年の暮れ、てか。