今更ながらに再発見。
去年に比べればマシなのに、暑いだの億劫だのと引き籠り傾向の今夏。整体系の友人には、運動不足から歩けなくなるぞと脅されもする。
しかも室内では椅子に腰かけてばかりのラクが最優先のリタイア生活である。
それが近頃、TVやPCを見るために椅子に座っていて、同一態勢が長くなると腰や膝に疲れとは違う違和を感じることも。歳を重ねた実感でもあるし、何か違う病の発症前兆かと嫌な感じ。
更に耳も遠くなり音量も上げ気味。それも個人的には気に入らないし、睡眠も大した運動もしないから浅く、丑三つ時に目が覚めて再睡ができなかったりもする。
仕方なくすることは録画鑑賞となる。真夜中だし電気も点けず、お隣さんへの配慮も留意し音量にも注意ねと。ならばと久方振りに床に胡坐をかいて陣取り近距離からTVを見てみた。
これが今更ながらに驚いたこと。何のことはない、若干目線がやや上でTV画面を見たら妙に新鮮だったのだ。
しかも、見たのが前日録画した未見の白黒日本映画。一挙にタイムスリップし、昭和の古臭い名画座での気分に陥ったのだ。
確かに居酒屋等で壁の隅の上に小さなTVがあり、野球や相撲中継が流れている店もある。とはいえ明るい店内だし、こちらは興味がないので見上げて見続けはしない。
否応がなしに取り換えたスマホだって、通常は見下す視線でだ。自室でも椅子からでは画面を見降ろす。それが通常の生活になっていた。
ところ胡坐からの視線は、まさに昭和時代の記憶と重なる。それが妙に嬉しく、ならばと様々な番組にも挑戦しだした。
何とはなく興味を惹かれたのは安い旅番組の電車内で席に座った視線からの窓越し映像。妙に臨場感がある。
逆に椅子からの視線で見ると何とも半端な目線になりツマランと思うようになってしまった。それこそ、乗り慣れないグリーン車中二階席からの視点みたいだと。
妙な安心感と違和感。小津映画がこの視線からの鑑賞を計算して作られていたのは有名な話。ドローンなどでスケール感をだせない、超低予算ひとり旅系の番組カメラマンの視点に小津の系譜を感じ微笑んでしまうのだろう。
映画は映画館でと言われていた時代はシネコンの階段型での座席とも違う、見上げるスクリーンでの笑ったり泣いたりの共同体験だった。
今や個人鑑賞はスマホで、か。それにシネコン内での飲食物の匂いや音も苦手。更に上映中にスマホを開く奴もいて、一瞬浮かぶ明るさに視線が追ってしまう。
結局文句ばかりの余生。あの頃の他人との統一的体験は何を残してくれたのかと感慨に耽る。
結局、個人でが一番なのか。それこそスマホに没頭するように。
ただし、今度は胡坐での鑑賞を続けると股関節が拡がり過ぎて痛くなって、立ち上がるときは片手を付いて、それこそ「どっこいしょ」と大変だ。
そう感じると、やはり椅子から立つ方がラクなのは当然だよな。
いやはや、何だかなァのリタイア生活。


