亜熱帯性気候の日本。
千葉県での豪雨は矢鱈と報道された。それに近いのが東京都心でも起きる。
先立ての土曜日、自分は新橋の酒場で夕刻から呑んでいたが、これから雨の本番だという周囲の話を聞いた。確かに、緩急こそあったが降るときのあまりの強さに閉口し、ハシゴ酒を諦めて帰宅した。
運良く小康状態時に最寄り駅に付き、慌てて帰宅。次第に強く打ち付ける雨音を窓越しに聞きながら正解だったと安堵した。
一方その雨で地元の超有名寺に隣接する、元は三分の一近くが小学校の同級生だったアーケード商店街に床下浸水が起きた。
下町情緒溢れる趣向に修繕されていたが、床板が貼り付けだったからか、一部が剥がれて浮かぶ状態になったらしい。
そこで商売を営む同級生がスマホで撮影し、小学校のグループ・ラインで画像を送って来た。凄いなと思ったが、就寝。
翌日は、そのことも忘れ自室に引き籠って、通常通り録画した番組や映画鑑賞で過ごした。
開けた月曜日。何とTVでその商店街の映像が流れてきた。同級生の撮影映像とは違ったが、やはりそれなりに大ごとだったんだ、と。
それでスマホを開いてみると、何と同級生の多くが心配と激励のコメントを送っていた。流石というか、でも驚いた。
これが参加型スマホ使用法かと。興味深かったのは、ほぼ全部が女性からによる投稿であり現在は地元に居住していない女子ばかりだったこと。離れて心配する故郷てな感じか。
しかも豪雨の翌日には補修業者依頼ではなく、商店街の人々のみで補修を行ったとスマホに呟いていた。
流石だと思った。超有名観光地であるし、殆どが又貸し状態でありながら新旧の人々が協力して修繕にあたり通行止めを解除し、営業再開としたらしい。
見事なる商魂と頭をかすめたが、否や、それでも大したものである。成程、戦時下ではバケツ・リレーで消火にあたった国民性だと。
一方で、自分はどこ吹く風でスマホもチェックせず、心底からだろうが心配をしてますという表現が、どうにも定型文で心がこもってないと感じる性悪さを再確認した次第。
だから、クラス会にも呼ばれないんだとも思うが、それこそ因果応報なのかも。
人間は歳を重ねれば、丸くなれが基本。否やそうでない人も増えたのは団塊世代の人口が多いという比率で目立つのだろう。
戦後は知っているが戦争は知らない。それでも頑張って競争社会の中で協調性を保ちつつ生き抜いてきたと自負する方々。
それに比べれば、欧米系といえば聞こえは良いが、単なるワガママで独善的な自分。でも、何故か運にだけは恵まれ続けている。
たまさか近くで豪雨を経験したが、激しくなる前に帰宅した自分と、翌日には周囲と保全にあたった同級生。リタイアと現役組の違いか。
心配と激励のラインも入れなかったし、せめて、今度の週末にでも顔出して話しを聞かせろと、ランチでも奢らせてもらうか。
あれ、やっぱり非当事者ゆえの独善的、上から目線てか。


