特別な一日 – UNA GIORNATA PARTICOLARE(1977年)

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スタッフ
監督:エットーレ・スコラ
製作:カルロ・ポンティ
脚本:E・スコラ、ルッシェッロ・マッカリ、M・コンスタンツォ
撮影:パスクァリーノ・デ・サンティス
音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ

キャスト
アントニエッタ / ソフィア・ローレン
ガブリエーレ / マルチェロ・マストロヤンニ
タベーリ / ジョン・ヴァーノン
管理人 / フランソワーズ・ベール
ロマーナ / パトリツィア・バッソ
ファビオ / マウリッツィオ・ディ・パオラントニオ
アルマンド / ティツィアーノ・デ・ペルシーオ
リットリオ / アントニオ・ガリバルディ
ウンベルト / ヴィットリオ・グェリエーリ

日本公開: 1984年
製作国: イタリア、フランス C・ポンティ作品
配給: ヘラルド・エース

あらすじとコメント

前回の主役マルチェロ・マストロヤンニ。女優のソフィア・ローレンとは公私ともに名コンビで共演作も多い。そんな中から今回はこれをチョイス。監督はエットーレ・スコラで、地味系な作品が多いがイタリアの名匠でもある。

イタリア、ローマ

1938年、第二次大戦への布石と呼ばれた独伊協力条約が締結の運びとなり、ドイツからヒトラーを筆頭にナチス幹部がローマにやって来た。イタリアはムッソリーニ率いるファシスト党が掌握しており、国を挙げて歓迎式典を開催。

家族が皆ファシスト党に入党しているタベーリ(ジョン・ヴァーノン)一家も6人の子供らと歓迎パレードに参加することを光栄に思っていた。妻のアントニエッタ(ソフィア・ローレン)だけは家事に追われ参加できないのだが、そのことを意識するよりもまったく休みのない状況での生活に疲労困憊であった。

何とか家族全員を送りだし、息付く間もなく家事に取りかかると、家族で大事にしている九官鳥が目を離した隙に飛びだしてしまい、中庭を挟んだ反対側の部屋の窓辺に止まった。

その部屋にはパレードにも参加せずに何やら書きものをしているガブリエーレ(マルチェロ・マストロヤンニ)がいて・・・

見事なる人間ドラマの優秀作。

国中がヒトラー一行を迎えて盛大なお祭り騒ぎの状況下。

まったく終わりのない家事に疲れ果てた人妻。そして反対側に独りで居残る中年男性。メインはその二人。そして噂好きの管理人老女が絡むが、ほぼローレンとマストロヤンニの二人芝居に終始する。

九官鳥を介して初めて双方の存在を確認し、どちらも心に何かを抱えているとイメージ付けてくる。

ほぼ舞台劇かと思わせる地味な内容。しかしながら完全に映画として昇華しているから驚く。

先ず、冒頭はヒトラーとムソリーニの当時のニュース映像が数分に渡り細かく流れ当時の状況を見せてくる。後にその二国に日本が加わり第二次世界大戦が勃発するが、歴史上の結果は誰もが知る事実。

ファシスト以外は人間ではないというほどの興奮と同一傾向化の恐怖。日本でも『一億総火の玉』とか軍国主義に少しでも反するような人間は非国民とされ殺されもしてきた。

後を考えると色々と考えさせられるニュース映像が終るとローマの高層マンションの中庭へとカメラが入っていく。

このシーンには鳥肌が立った。四方が同じ間取りの窓に囲まれた中庭を走る子供たち。カメラが上がっていくと各フロアの部屋で住人たちが朝、何をしているかという市井の生活を垣間見せられる。

ヒッチコックの「裏窓」(1954)とまるで同じなのだ。しかもカメラはゆっくりと動き、やがてヒロインの部屋の窓から、ごく自然に中に入っていき、幾つかの部屋に分散している6人の子供たちに一々指示を出しながら各部屋を横断していく。そのヒロインの言動を何とワンカットで見せてくる。

そこだけでこの監督はタダモノではないぞと確信させられる。

現在のように小さなドローンで大小の部屋を追うわけにも行かず、一体、最初の中庭からどのように、これほど縦横無尽にカメラを動かし、しかもヒロインを筆頭に家族と6人の子供全員がカメラから外れることもなく流麗な動きで部屋の散らかり方や貧しい専業主婦の疲労さ加減を一気に見せられるとはと絶句してしまった。冒頭から完全に映画に引き込まれた。

その後パレードに参加するためにマンション中の住人がほぼ全員一気に外出していく姿をパニック映画のように描く。そしてヒロインがポツンとなった瞬間から静寂と孤独感が覆い被さってくる見事なる変調。

先ず、ほぼノーメークの印象のソフィア・ローレンが見事。そして九官鳥というベタな設定を介して、やっとマストロヤンニが登場してくるが、拳銃が置いてあったりとどうにもミステリアスなのだ。

その二人が知り合い、お互いに人生の特別な一日になっていく。

通常であれば不倫ものを想像するかもしれないが、さにあらず。先読みをしつつそれをはぐらかすような展開。

兎にも角にも、主役二人の演技合戦は素晴らしいの一言。ほぼ双方の部屋のみで進行する内容ながら一度だけ屋上のシーンが出てくるとそこでの妙な解放感が互いの闇の部分を一瞬にして発散させる。その突発的な場面では恐怖感さえ連動させる。そこも実に素晴らしい表現方法だ。

狭い室内のみで繰り広げられる人間ドラマで縦横無尽のカメラワークというと秀作「十二人の怒れる男」(1954)が浮かぶ。当然それを意識しているし、舞台の会話劇的内容を完全に映画として仕上げている。

結果、どのショットにも生命が宿る完全な撮影。地味ながら主役二人が共演した有名作「ひまわり」(1970)とも全く違う演技のアプローチも素晴らしい。

終盤で戻った家族と夕食を摂るシーンで、たった一度だけヒロインへのクローズアップが登場してくるが、そのショットには完全に心が持っていかれた。

彼女にとっては人生の価値観が激変してしまった一日であったことを、冒頭ではいかにもヴァイタリティ溢れるイタリアのマンマの態で家族たちにわめかせたのとは真逆に、ここでは台詞を一言も発せさせずに雰囲気だけ描いているからだ。そして周囲はパレードでの出来事を嬉しそうに話す家族がいるが、誰もヒロインの機微の変化など気にもしていないという絶望感が胸を締め付けてくる。

地味で劇的な内容ではないが、冷えてクリアな味の高級発泡酒を飲まされた満足感を感じられる貴重な一作。

余談雑談 2024年7月6日
差別はいけない。 では、区別はどうなのか。更には「分別」はどう。調べてみたら、差別は「扱い」を変えることで、区別は、単純に「違い」を指すのだと。 ということは自分が他の人と別な扱いを受ける場合は、やはり「差別」にあたるのだろう。その対応なり