女だけの都 – LA KERMESSE HEROIQUE(1935年)

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スタッフ
監督:ジャック・フェデー
脚本:ジャック・フェデー
台詞:ベルナール・ジマー
撮影:ハリー・ストラドリング
音楽:ルイ・ベイツ

キャスト
コルネリア / フランソワーズ・ロゼー
町長 / アンドレ・アレルム
オリヴァーレス公 / ジャン・ミューラー
町長の娘 / ミシュリーヌ・シェイレル
従軍司祭 / ルイ・ジューヴェ
ブリューゲル / ベルナール・ランクレ
魚屋の妻 / リーヌ・クレヴェルス
宿屋の妻 / ジネット・ゴーベール
酒場の妻 / マルグリット・デュクレ

日本公開: 1937年
製作国: フランス トビス作品
配給: 東和


あらすじとコメント

第二次大戦前のクラシカルなフランス映画で繋げてみた。17世紀初頭のフランスを舞台にしたコスチューム・プレイのコメディで、男たちのか弱さと女たちのしたたかさを描いた作品。

フランダース地方、ボーム村北部ネーデルランドの独立戦争後、12年間の休戦条約が締結され、スペイン領となった小さな村。そこでは穏やかな生活が戻っていたが、住人たちはスペイン人に対し、戦時下での残虐行為が浸透していて、現在でも恐怖感を抱き続けていた。

ある日、スペインのオリヴァレス公一行が村に立ち寄るので、粗相のないようにとの御触れが来た。驚いたのは町長(アンドレ・アレルム)ら、役員の男たち。何かあれば殺されると上へ下への大騒ぎになる。その不安は、たちまち村民たちにも拡がり誰もが恐れだした。しかも翌日は村の祭りであり、町長らは自分らの威厳を示す絶好の機会でもあったのだ。

しかし、相手がスペインの公爵とあっては、それどころではない。遂に、町長は自分が死んだことにして遣り過ごすと言いだした。誰もがまさかと思うが、町長がそう言うのであれば仕方ない。

そこで立ち上がったのが町長夫人のコルネリア(フランソワーズ・ロゼー)で、村の女たちに、男は頼りなさすぎるから、自分ら女だけで対応しようと。それでは自分の権威が失墜するという町長だが、自ら死んだことにすると言った手前、何もできない。

翌日、女たちが慌ただしく準備に翻弄する中、オリヴァレス公(ジャン・ミューラー)一行がやって来た・・・

女たちが立ち上がり、見事な采配をしつつ欲望をも満たす艶笑コメディ。

常日頃、威張っているくせに、いざとなると怖気づく男たち。

特に町長は画家の愛人がいたり、更に私欲のため、肉屋の役員に自分の娘との結婚を許すような男。そんな町長に従う男たちも、皆、無責任の極みというタイプ。

そんな男らに愛想を尽かしていた女たちが立ち上がるという話である。

しかし、女性側だって様々なタイプがいる。恐ろしいイメージがあるとはいえ、所詮、相手は全員男である。そこには『女』としての欲望だって見え隠れする。

果たして、一行が到着すると、美人ばかりが接待してくるので、鼻の下が伸びていくスペインの御一行様。

制作された時代もあるし、しかも、設定も17世紀というのが何とも「ノンビリ」感がでている。それでも大らかさの中に、風刺や皮肉が効いているのは見事。

作劇もメリハリがあるが、それにも時代性を感じるのは致し方ない。

とはいえ、何組もの男女が、関係を持つ場面では、小窓のカーテンを閉めることで匂わせるとか、公と町長の男としての『格』の違いや、僧侶だって欲深い人間であるという演出が、当時としては微笑ましくも斬新であったであろうと感じさせる。

また、フランダース地方の街並の建物や衣装、肉屋や魚屋という生活感溢れる描写など、各場面が白黒でありながらも、リアリティある絵画的な印象を受けた。

現代とは違う時代のリズム感の中での鷹揚さに、まどろっこしさを感じる観客もいよう。

それでも、女の強さとしたたかさを前面にだし、格好付けたがる男たちが、実は脇が甘く「コキュ」と呼ばれる寝取られ男たちの典型を見せつけてくる展開には、男としては、若干、不穏な感覚にも陥る佳作。

余談雑談 2017年11月11日
今回の都々逸。「気障なお客と井に湧く水は 金気なくなりゃ茶にされる」成程、そりゃそうだよな。というよりも、『茶にされる』やら『金気』なんて言葉も死語だな。「見栄っ張り」で「格好付けしい」。そんな男は、何も花街という高額な場所に限らず、安っぽ...