余談雑談 2019年4月20日

平成最後の旅で沖縄滞在中。今回は、渡嘉敷島と先月同窓会で数十年ぶりに会った友人との再会がメインの旅行。

ところが、到着後すぐに洗礼。出発時にネットで調べたら夕方から雨予報だったが、昼前から雨。夜には現地の人も驚くほどの激しさになりやがって絶句。「雨男」復活である。

しかし、翌朝は快晴となり、島へ渡るフェリーに乗り込むと地元中学生が研修で行くらしく100名以上もいて満員でやんの。仕方なく、上部デッキのベンチにやっと席を確保。

出航すると、今度は「時化」でパニック映画の態で激しく揺れ、中学生らは大騒ぎ。しかも陣取った席が悪くて、時折、波が強く打ち付けびしょ濡れに。晴天とはいえ、ズボンが乾いたのは翌日という状態なほど濡れた。

それも経験だと思いながら、島では定宿が取れず新規の民宿へ。ところが、これが大当たり。経営者は現地人だが、スタッフは女性のみで、鼻の下が伸びた。

しかも、10室はあるのに貸切。夕食には泡盛が無料で供され、食後にスタッフの一人が自分用の缶チューハイを持ち、やってきた。お話しましょうよ、と。

まさか「ぼったくり系」かと思ったが、こちらでは『ゆんたく』という、食後に会話を楽しむ習慣があったっけ。小一時間ほど楽しく話が弾んだ。

その後、床に就いたが、習慣とは恐ろしいもので、4時前に目が覚めた。ふと見ると、窓から星が見えていた。

思い出した。渡嘉敷島は満天の星空が有名。ウォークマンを持って宿をそっと抜け出し、砂浜へ向った。

北風が寒さを感じさせるが、それだって東京よりは暖かい。集落から外れると外灯もなく雲は多少あるが、見事な星空が目に飛び込んできた。

入り江はU字形で、両サイドは蟹のツメの態で山がある。集落から細い道が伸び、砂浜までの周囲はそれなりの高さの草木が生い茂る。そこから砂浜へ降りて行った。

進むと打ち寄せる白波だけが見え、波の音が心地良く聞こえる。右側が黄色く明るいので目をやると満月に近い見事な月。しかも東京で見るより大きい。

こんな時は、何を聞こうか。やっぱりスローな「スターダスト」か。小さく音楽を流し、波音を消さぬように佇んだ。

曲が流れた瞬間、鳥肌が立った。今までに無いほどの完璧な世界。次の瞬間、平成も二週間を切ったと思い、これは沖縄に呼ばれたと。

そして30年の時代が次々と甦った。一体、何をしてきたんだと思ったら、もうダメだった。

会社を潰し、肩の骨折で成人病が発覚し、最近は体力の衰えも感じる。自分自身の余裕が欠損したのか、人間嫌いにも拍車がかかっている。

満天の星空と波の音に静かなジャズ。いつの間にか、心をなくしていた。沖縄では心を『マブイ』と呼び、なくすではなく「落とす」と表現する。

自分で気付かぬ間にマブイを落とし、この砂浜に拾いに来たのだと。嫌な思い出が浄化され、やがて月が見えなくなると左側の空が薄っすら明るくなってきた。

夜明けだ。それに伴い、あれだけの星が徐々に消えて行く。1等星だけが力強く輝きを放ち続ける。

まだ立ちずさんでいた。上空を飛ぶジェット機の飛行機雲だけに光が反射して、オレンジ色に染まりながら伸びて行く。

また、違う思い出が甦った。自分の目で見た、前回の東京オリンピックで自衛隊のブルーインパルスが、五輪マークを空に描いた姿に重なった。来年は、またオリンピックだ。

山に遮られながらも空が明るさを増し、漆黒だった海に慶良間ブルーが甦ってくる。暗いながらも、その美しい碧さ。

2時間近く呆然と佇んでいた。その間、誰一人も見かけなかった。やはり、平成最後に呼ばれたな。

魂が浄化され、リセットされた。だが、この思いがいつまで持続できるのかとも心配になった。

それでも、来て良かった。星空の存在も忘れて、漫然と酒を飲みに来たつもりの島。

帰りに民宿から港まで送ってくれたのが、前夜話した東京から永住したスタッフの女性だった。そのことを話すと驚いて、来て5年になるが、一度もそんな時間に海と空を見たことがない、と。絶対に近々行ってみます。

帰りの海は実に穏やかだった。晴天の空を見ながら、次は何時かなと思いながら那覇に戻った。

後は友人との再会か。

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