マイラ ‐むかし、マイラは男だった‐ – MYRA BRECKINRIDGE(1970年)

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スタッフ
監督:マイク・サーン
製作:ロバート・フライアー
脚本:マイケル・サーン、デヴィッド・ガイラー
撮影:リチャード・ムーア
音楽:ジョン・フィリップス

キャスト
マイラ / ラクエル・ウェルチ
ローナー / ジョン・ヒューストン
レティシア / メエ・ウエスト
マイロン / レックス・リード
メリー・アン / ファラ・フォーセット
ゴドウスキー / ロジャー・ハーレン
医者 / ジム・バッカス
アマデウス / カルヴィン・ロックハート
モンタグ博士 / ロジャー・C・カーメル

日本公開: 1970年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス


あらすじとコメント

前回は異性間とは違う、ゲイゆえの葛藤を描いた作品だった。今回は、ある意味、ぶっ飛んだファンタジー的作品にしてみた。ある種の性転換を描いた初期作品。

アメリカ、ロサンゼルスローナー(ジョン・ヒューストン)が経営する演劇学校に、セクシーでスタイル抜群のマイラ(ラクエル・ウェルチ)がやって来た。

彼女はローナーの従弟で行方不明の挙句、死亡したと認定されたマイロン(レックス・リード)の妻だと名乗り、この学校の権利の半分を有していると言い放った。驚くローナーだが、そんな事実はないと慌てだす。しかしマイラは、ならばこの学校に居座って講座を持つと言いだした。益々、慌てるローナー。

拒否するためには、当然、彼女が亡き従弟との婚姻関係がないと証明しなければならない。しかも、ローナーは古き良きアメリカこそが一番と信じる超保守的人間だ。

ところが、マイラは様々な授業に乗り込んで、共産主義者的発言で生徒たちを驚かせる。そんなマイラは二枚目の学生ゴドフスキー(ロジャー・ハーレン)に目を付けた。

ただし、彼も美しい恋人がいながら、ローナー同様、保守的思想の持ち主だった・・・

性同一性障害者の嗜好と幻想を嫌味に描くファンタジー。

映画評論家で社会主義的思想を持つ男。彼は、自分が男性として生きることに嫌気が差し、スタイル抜群の女性になりたいと願う。

冒頭は、そんな彼が性転換手術を受ける場面から始まる。そして絶世の美女となり、大嫌いな保守的思想の伯父の下を訪れ、叔父自身や周囲の『俳優』を夢見る人間たちの心を翻弄していく。

ある意味、素直に観ると主人公が実際に女性に性転換したと思うかもしれぬが、これはあくまで妄想である。しかもパラノイアの。

そんな主人公の妄想を映画評論家らしく、古い映画を随所に散りばめ、現実世界と合体させようとしている実験的映画でもある。

叔父が超保守のアメリカ人代表として描くため、常にカウボーイ姿で登場させ、若い女性によるマッサージが大好きで、アメリカの救世主は「全米ライフル協会だ」と言い放つ。

ヴェトナム戦争の終盤期であり、世の若者はヒッピーなり、反戦活動やら社会主義傾向が渦巻いていた時期でもある。

それにより「アメリカン・ニュー・シネマ」というジャンルが確立されたが、これも異種の「ニュー・シネマ」だと感じる。

ただし主人公の設定は、葛藤もせず、超保守層がジェントルマンを気取るが男尊女卑思想であり、権力と金の亡者である、と解りやすく描いていく。

しかも、それは映画の都ハリウッド人種にも侮蔑の視線を送り、戦前のセックス・シンボルであったメエ・ウェストに醜態を曝けださせながら、まるで本人がそうであったかように、とんでもない色情狂の役を演じさせている。

更に主人公の映画評論家役はゲイだと噂のあったレックス・リードだし、主演のラクエル・ウェルチは「整形美女」として有名でもあった。

つまり、キャストからしても解るように、かなり辛辣な内容である。しかも『ゲイ』とは違う発想で、やはりセンシティヴな人種であると匂わせながら、やがて、本人と女性に変身した自分とが乖離して行き、結局、強い性格の方が勝つという「サイコ」(1960)を連想させる。

好き嫌いは別れようが、昔の白黒映画を、これでもかと挿入してくれるし、どれだけの映画を見て、そこにこの場面を入れ込んだのかと驚きもする作品。

カルト映画として認知されようか。

余談雑談 2018年9月1日
今日から9月だ。やっと灼熱地獄の出口が見えたか。 先立て、タバコ屋の店番をしながら、録画鑑賞がひと段落したので、外はどうかなと玄関のドアを開けた。 すると、炎天下のドア横の日陰で、髪の短いタンクトップ姿のひとり旅らしい外人女性が、スマホ片手