フランス式十戒 – LE DIABLE ET LES DIX COMMANDEMENTS(1962年)

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スタッフ

監督: ジュリアン・デュヴィヴィエ
脚本: J・デュヴィヴィエ、ルネ・ヴァルジャヴェル
撮影: ロジェ・フェルー
音楽: ミッシェル・マーシュ、ジョルジュ・ガルバラン
ギィ・マジュンク

キャスト

シャンパール / ミッシェル・シモン
マイユ / シャルル・アズナブール
ガリニー / リノ・ヴァンチュラ
神様 / フェルナンデル
フランソワーズ / フランソワーズ・アルヌール
ピエール / アラン・ドロン
バイヤン / ルイ・ド・フュネス
ディディエ / ジャン・クロード・ブリアリ
モリセット / ダニー・サヴィル

日本公開: 1963年
製作国: フランス シネディス作品
配給: 東和


あらすじとコメント

今回もオムニバス作品。監督は、ここでも扱った「舞踏会の手帖」(1937)、「運命の饗宴」(1942)と、オムニバス好きなジュリアン・ディヴィヴィエモーゼで有名な『十戒』をモチーフにして、シニカルな視点で人間の欲望を炙りだす。

フランス、パリ。とある修道院に勤めるシャンパール(ミッシェル・シモン)は、学がなく下品な男。いつも口癖で神を罵る言葉を吐くのが難点だが、気立ては良い。しかし、場所が場所だけに、修道女たちから忌み嫌われていた。

ある日、教区の司祭がやって来るので、修道女たちは失礼のないようにと準備万端。シャンパールに表にでぬように命ずるがどこ吹く風。

そしてやって来た司祭を見た彼は感嘆の声を上げた。何と、司祭は・・・

人間の欲望の果てに起こる出来事をエスプリの利いた視点で描く作品。

上記は第一話で、解雇されそうになる幼馴染を「十戒」を読むことで更生させようとする司祭の話。

次からは、悪魔の化身である『蛇』が都度、登場しストーリー・テラーとして10分強の短編が綴られていく。

ストリッパーを気に入り、通い詰める青年を描く、「汝、姦淫するなかれ」。

で、続いては、才能があるが貧しい劇作家の美しい妻が、金持ちのプレイボーイに高級な宝石をエサに口説かれるが、プレイボーイの妻と自分の亭主にも何やら怪しい雲行きが、という「汝、人の接吻を欲するなかれ」。

次が真面目一本で生きてきたシャルル・アズナブール扮する神学校の教徒が、ギャングに騙され自殺してしまった妹の復讐を試みる「汝、殺すなかれ」。

次は、のどかな農村にふらりとやって来る馬面のどこかトボケた「神様」が、とある貧しい一家のすさんだ家族に奇跡を起こそうとする「我、なんじの主なり。我を唯一の神として礼拝すべし」。

次がアラン・ドロン扮する20歳の美男医大生が、実母が大女優だと知り、会いに行くと、当の大女優は、突然の若い美男子の登場に、眼の色が輝いて、という「汝、父母を敬うべし」。

そして次が、当時、流行りだした『ヌーヴェル・ヴァーグ』風の、万事、身勝手極まる銀行員がクビを言い渡された直後、彼の窓口に強盗が押し入って、何故かニヤニヤとあり金を渡すが、という話。

そして、ラストにはまた、司祭と同級生の下男の話に戻る。

つまり『十戒』に登場する戒めを描くのだが、どれも「皮肉」が根底に流れ、多少のエロスあり、コメディありと、各エピソードに、豪華キャストを配し、楽しませてくれる。

全挿話とも、ひねりが利いて思わずニヤリとするし、いくつかの挿話からインスパイアされ、本作以後に作られた作品を想起させたりと中々に楽しめる。

当然、時代性は感じざるを得ないが、それでも人間の「欲望」や「業の深さ」は変わりはないと感じさせるし、ヴェテラン監督のジュリアン・デュヴィヴィエの手馴れた演出も違和感がない。

更には、それぞれのエピソードが短いために、間延び感のある余計なシーンなどが省略され、どの話もシャープに研ぎ澄まされた印象深い台詞が散りばめられ、その点でも飽きずに見ていける。

説教臭いところはないので、人間に欲望がある以上、悪魔の付け入る隙は必ずありえるというシニカルな視点に、逆にニヤリとしてしまう。

余談雑談 2011年1月8日
世間は、正月気分も抜けたようだ。 ところが、こちらのタバコ屋は相も変わらず、実にのどかな正月風情のまま。 そんな中、今年の目標でも掲げるかと考えた。去年、一番の変化は、やはり、ドクターからのお墨付きで完治した「肩の骨折」だろうか。 後は、長