スタッフ
監督:ジョルジュ・フランジュ
製作:ピエール・ローラン
脚本:ボアロウ・ナルスジャック、クロード・ソーテ 他
撮影:ユージャン・シュフタン
音楽:モーリス・ジャール
キャスト
ドルメイユ博士 / ピエール・ブラッスール
ルイーズ / アリダ・ヴァッリ
クリスティーヌ / エディット・スコブ
エドナ / ジュリエット・メニエル
ポーレット / ベアトリス・アルタリバ
ヴァーノン / フランソワ・ゲラン
パロット警部 / アレクサンドル・リグノー
エミール / ルネ・ジュラン
刑事 / クロード・ブラッスール
日本公開: 1960年
製作国: フランス ジュールス・ボルコン・プロ作品
配給: 東宝、中央映画
あらすじとコメント
ある意味で、女性に異常な執着を持つ男性が登場する『恐怖映画』で繋げた。昨今のアメリカ製の派手な演出で驚かすゾンビ映画などとは一線を画した、実に静かだが身の毛もよだつ不気味な佳作。
フランス、パリ郊外。深夜の道を走る一台の車。運転しているのはルイーズ(アリダ・ヴァッリ)。後部座席にはトレンチコートを着てソフト帽を深々と被った人間が眠るように乗っていた。
車は人気のない池の近くに止まると、ルイーズは周囲を見回し、後部ドアを開けた。何と男物のトレンチコートを着ていたのは若い女性で、既に死亡していた。しかもコートの下は全裸のようである。彼女は死体を引き摺ると池に投げ入れた。
翌朝、皮膚移植の世界的権威ドルメイユ博士(ピエール・ブラッスール)は、警察から緊急の呼び出しを受けた。事故で顔面が滅茶苦茶になりながらも生還し、入院していた博士の娘らしき死体が池で発見されたというのだ。
博士が死体置き場を訪れると・・・
モダンさとグロテスクさが入り混じる怪奇カルト映画。
自らの運転による事故で、娘の顔を無残な姿に変えた父親。その父が皮膚移植の権威だったことから起きるおぞましい事件。
いわゆる『マッド・サイエンティスト』モノであるが、秘薬や人造人間を作るのではない。もっとリアルなのだ。
つまり、娘は生きていて、別な同年代の女性の顔から皮膚を剥がし、娘の顔に移植しようとするのだ。
娘は絶望しながらも、一縷の希望を持っている。そんな娘は「能面」のような、眼の部分だけを切り抜いた白いマスクを常時、着用している。
その姿が、先ず気色悪いのだ。『眼』だけは動くが、他の部分は唇をも含めて動かない。しかも唇は作ってあるもののルージュを引いているわけではないので、全面が白一色で「無表情」。しかも皮膚感覚もあるようでないという「無機質感」。
その妙なアンバランスさが絶妙に猟奇さを醸しだしている。
白黒映画特有の照明による陰影で描かれる『恐怖』。そんな娘がマスク姿で邸内を歩く姿は、背筋が凍るほど美しく切ない。その相反する奇妙な感覚が見る側の神経を逆撫でしていくのだ。
そんな娘のために、移植可能そうな女性を物色し、拉致監禁する。しかも、相手を殺してからでは皮膚細胞が壊死するので、麻酔で眠らせているだけの状態で手術をしなければならないのだ。
想像しただけでおぞましいと推察できよう。しかも、本作はかなりリアルに顔面の皮膚を剥がす手術シーンまで登場する丁寧さ。
そのシーンは正視できないほど猟奇的である。確かに当時の特撮技術では『超リアルな皮膚』など作れるはずもないのだが、逆に、そのどこかイミテーション的嘘臭さが、白黒ゆえにゾッとするほどリアル。
この手のシーンなどは決してアメリカ映画では描けないと感じる。
フランス映画特有の汗臭くなく、どこかクールでシニカルな視点で進行させるスタイルが、生身の感覚である「皮膚呼吸」を強烈に画面から発している。それゆえにグロテスクさが際立つ。
これだけ医療技術が進歩した現在では、本作で説明的に描かれる医学的根拠や人体細胞の繊細さは、素人が見ても嘘臭いと感じるだろう。
他にもストーリィ自体は時代がかっているが、それでも何故、博士の秘書がそこまで協力するのかとか、何ゆえに野良犬を大量に保護しているのかといったミステリー要素も入れてある。
意表を突くハッタリや、追われるスピード感などで驚かせる怪奇映画ではなく、見る側を心底怖がらせる作風は、カルト怪奇映画の代表格として語り継がれて行くだろう。


