余談雑談 2022年4月4日

今回の都々逸。

「粋のふところ探ってみたら 色の手本がたんとある」

『遊び人』ってことですよね。昔のTVドラマでいえば「遠山の金さん」か。個人的には随分と憧れたもんだ。

結果は、人生など夢も希望もないと思い知ることになったが。それでも、やはり『粋』ってのは、頭だけの考えじゃダメで、さりげなくか思いっきりは分からぬが、それなりの経験値が必要ということだろうか。

今ほど何事も簡単便利じゃない時代は個人の経験値なり、危機意識が発達してその手の人間の素性を察知できたのかもしれぬ。

個人的に感じるのは『粋』ってのは引き算がメインで、盛るだけじゃダメだし、高い服の身なりでも立ち振る舞いで「お里が知れる」と言われた。当然、それを見抜く人も多かったってことなんだろうな。

そういえば若僧の時代、イタリアに行きだして痛烈に感じ憧れたことがある。

日本にはない歴史的ホテルの圧倒的な荘厳さとそこで当たり前のように笑顔で振る舞う人間たち。こちらはロビーにいるだけで委縮して震えた。当時の日本の一流ホテルのロビーでは流れる空気感もリズム感も全く違った。

それがイタリア各地やスイスを見聞して日本人には存在しないタイプと痛切に感じたことだ。昭和の時代で日本人は24時間働けます的商社系の国際ビジネスマンに憧れる若者も結構いたときに、自分が想定したのは『世界で通用する遊び人』である。それこそ、ショーン・コネリーのジェームス・ボンド的な色男。

当時、心底笑われた。日本人の恥だことも言われた。でも、本当に憧れた。銀座の高級クラブや芸者遊びだって相当の覚悟がいると聞かされたし、事実そうであったのだろう。

しかし今では時代遅れというよりも時代錯誤の差別主義者的に扱われるのだろうな。でもね、粋ってのはそれほど難しかったと教わった。学校の勉強でないところで随分と勉強したが、今日の都々逸じゃないが色の手本は苦手だったな。

つまり粋ってのは無暗矢鱈に盛り付けるのではなく肩肘張らない「スマートさ」に近いのかも。

もっとも、スマートフォンのスマートとは、ちと違いますがね。

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