今回の都々逸。
「今度逢う日を背中に指で 書いて背広を着せてやる」
当時としては『現代都々逸』と呼ばれた類。それがどうだ、今や「背広」などと言わぬし、後ろから着せてやる行為だって、まだ誰かはやっているのかですら定かでない。
それに指で背中に書くなんぞもクイズ番組で当てっこをした時代だろうし、今じゃスマホのスケジュールにアラーム付きで打ち込むてな具合でしょうか。
どの道、お妾さんとか愛人の行為でどこか未練がましいし、底冷えの怖さも淀む。しかし、それに憧れる男も大勢いたんだろうな。
今はもっとドライで風情はないし、それしか知らない人たちは、愛情なり感情の起伏が別物とか、否や、存在すらしないのだろうか。
それに俳句や川柳は、聞いたことがある人はまだいるだろうが、都々逸など知らぬ人は増加の一途だろう。更に言えばカタカナの一切入らない言い回しや、字数制限内という制約に行間を読むとか、想像を張り巡らす的なことに妙味なり興味を覚える感性は起こりもしないのか。
感性なり感情は使用頻度が下がれば劣化するし、言葉だって間違いなく忘れて行く。こんな自分だって背広という言葉自体を使わなくなってるし、それ以上にスーツすら着る機会がなくなった。今や箪笥の肥やしだし、断捨離一直線。
背広に限らず自分自身が世間からそういう扱いを受けるのではなかろうかと恐怖心さえ芽生える。
本当はお妾さんや愛人も欲しいが、金も地位も魅力すらない自分には何をば言わんやだな。否や、それ以上に今や肩が上がらず、一人でジャケットなりに袖を通すのが一苦労で着せて貰いたいなと思うことも増加。
ということは必要なのはヘルパーさんか介護士さんか。色気も味気もないよな。
骨折も趣味だし、ヘルニアも併発する。まあ、それが運動不足の成れの果てか。


