余談雑談 2023年9月9日

「コミュ力(りょく)」か。

コミュニケーション能力のことを指すとか。自分は昭和のアナログ固執を自慢的に吹聴する。へそ曲がり、天邪鬼は、むしろホメ言葉ですよと。などと言うと意識的に排除とか無視される。実はこれも嫌いじゃない。

偏屈な自分とは価値観なり嗜好性が合いそうにもないと思っていただければ、互いにわざと袖を摺り合わさなければ軋轢が起きないよな。『君子危うきに近寄らず』である。出来れば直接会っているときにこれをしたいのはアナログ感覚優先だからとも思うが。

これがネットなりSNSで添削や文脈も考えず吐き出すから軋轢に摩擦力軽減用潤滑油を注ぐ気もする。見えないとか、面と向かって対峙しなくて済むから勝手にエスカレートしていく。

昔なら、肩が触れただろと因縁をつける『その筋系』がいた。見た目からヤバいと思えばかなり前から避けた。しかも、向こうもある意味プロだから、俺より格上そうだと直感したらぶつかってこない。見ず知らずながら瞬時に互いを格付けする能力。街を歩くにもどこか緊張感を伴い、今のようにスマホに視線を落として、ぶつかったのは自分の所為じゃないと平気で言い放ったら、どうなっていたのか。やはり昭和の発想だよな。

それにしても自分はつぶやき系なり動画系を一切しないのだが、昨今名称変更したつぶやき系は、かつて文字数制限があったらしいね。言いたいことを要約するには技術が必要だし、ゆえに短縮形文字や相手を試す言葉が発達した。だから誤解を生んでもきた。

何てのも昔の話だと知った。30倍以上に打ち込み文字数が増加したとか。これなら長文発信も可能だ。嬉しいのは「オヤジ世代」かもしれぬ。話が長いとか揶揄されるし、能書き系が大好きな人も多いし。

それは対峙したときでも同じ。ここぞとばかり能書き披露をしたがる。尤も、「要は」とか「大事なのは」とか端々に差し込むのが好きなのに、喋り中に要点を見失い、堂々巡りの話で忌み嫌われる。それを加齢の所為にしてまた嫌われる。

若い頃に何を勉強し習得してきたのだろうか。否や、スルーしてきた結果か。思い込みと、元来こういう人間だからと自分を変えずに相手に理解を強要していることすら気が付かない根本的に「コミュ力」不足てな訳。となれば次世代へと伝播していくよな。

もしかして、その流れからかと思う出来事があった。いつも珈琲豆を買う自家焙煎の店に行ったとき、初めて見る若い男性店員がレジ台付近にいた。髪を七三に分け、今どき銀縁メガネで、昔の『マジメ君』そのもの。その彼に豆の購入のみですが、と告げた。店主は横の焙煎室で仕事中。

若いアルバイト君は棚にある大きな密封瓶から取り出そうとしたが、どうやらオーダーした500g分が微妙という顔をした。ちゃんと真面目に焙煎中の店主に声を掛け、足りなさそうな場合は下にある大きな缶から瓶に直接足せば良いですかと尋いた。

驚いた店主は焙煎室から出てきて、それは絶対にしちゃダメと返答した。青年はキョトン。何故ダメかがわからない模様。自家焙煎で拘わりの強い店。矜持の一環として新旧の豆が混ざるのは劣化に繋がるし、瓶だって洗浄しなきゃ油脂分が残ったままだ。

もしかして青年は以前、カフェ・チェーンでバイトでもしてたか。その手の店だと、足りなくなったら即補充。消費が早く一日の営業終了後に洗うシステムだったとか。足し方を尋くだけマシだと思ったが想像力が欠如しているとも思った。真面目そうな若者なんだけどな。

店主が代わって豆を量り売りしてくれた。彼はきっと何故ダメかと理解できなかったんでしょうねと苦笑していた。何とかハラスメントとか思われなければ良いけど、とこちらも笑った。

真面目そうだし勝手な判断で行動せずにお伺いを立てる。個人差もあろうがコロナの3年間で没交渉も進み、それでいきなり対人関係はキツいことなのだろうか。それでも、尋いて理解しようとするのは大したものだ。

お互いが「あうん」の呼吸でなんてのは無茶な時代か。話が長くて堂々巡りのオヤジたちと、没交渉でうつむいてスマホで事足らそうとする年代。

どっちもどっちか。まあ、自分のことは棚に上げときますが。

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