スタッフ
監督:原田真人
製作:磯田秀人
脚本:原田真人
撮影:長谷川元吉
音楽:宇崎竜童
キャスト
ダンさん / 川谷拓三
シューマ / 重田尚彦
ミナミ / 浅野温子
ダメハツ / 鈴木ヒロミツ
テンコ / 山口美也子
コチ / トビー門口
和田 / 小杉勇二
本間 / 石橋蓮司
須賀忠太郎 / 室田日出男
鱈坂俊二 / 原田芳雄
製作国: 日本 キティ・フィルム作品
配給: ヘラルド
あらすじとコメント
元々はアメリカ在住の映画ライターで、現在はヴェテラン監督になった原田真人。そんな彼のデヴュー作で、映画オタクを描いた作品。
東京、新宿
岡本喜八監督の「肉弾」が上映されている名画座内で上映中にも関わらず若い女性三人組がお喋りをしていた。堪忍袋の緒が切れた映画ファンのダン(川谷拓三)が彼女らを怒鳴りつけた。悲鳴を上げて退場していく三人組。やっと集中して鑑賞できると微笑むダン。
しかし上映終了後、待ち構えていた警察にダンが痴漢容疑で事情聴取を受ける。誤解だと怒るが、やはり女性三人の証言が強いようだ。そこに同じ映画を見ていた映画ファンのシューマ(重田尚彦)が、女性たちの証言が身勝手な狂言であると証言。
結果、ダンは解放されるのが、よほど嬉しかったのかリチャード・ウィドマーク主演の「死の接吻」内のセリフで礼を言った。今度はその映画を知るシューマが、別な台詞で切り返した。瞬時に同じ匂いを嗅ぎ取った二人。
すると互いに映画の話が止まらくなり・・・
映画オタクの救い難いのめり込みを肯定するドラマ。
年間365本の映画を20年見続けるのが夢という中年映画オタク。19歳の浪人生で20歳までには童貞を捨てたいと願う青年。そして明るいが陰も醸す社会の裏を知っているような少女。
この三人が繰り広げる人間ドラマ。
心底、腹の座った『映画ファン』という生き物は、一体どのような生態をしているのか。
年相応の人生経験もなく、映画しか頭になくて思考も言葉も映画から連想するものばかり。それで一応の正義感なり正論を持ちだそうとすると当然、底の浅さが露呈して自分に嫌気が差す。
そんな主人公は最後にどこに向かうのか。一方で精神的には大人だと思い込むが、その実、異性に対しての何ら実体験がない青年が、目の前にもしかして手に入るかもしれないという対象が現れたらどうなるか。
結果は明らかで、女性の方が掌の上で転がす結果と相成るのだが。
人生に取り残された、否や、自分から映画以外の人生に降りてしまった主人公の姿は、初見当時から、将来の自分を見ているようで、複雑な気分で素直に映画に入り込めなかった記憶がある。
タイトルも洒落ていて、よくTVなどで見かけた新宿小田急百貨店前の西口広場。その横を走るJR線の高架下に小さな歩行者用横断通路がある。
そこの上に上映中の手書き映画看板があった。本作ではそこにアラン・ドロンとチャールス・ブロンソンの「さらば友よ」(1968)が描かれており、本作の主人公二人が通路から出てくるとそのタイトルの間に吹き出しで、添付画像チラシ同様に「映画の」と浮かんだ。
原田監督の思い入れが伝わり微笑んだ。その他にも後に再見したら、特にリチャード・ウィドマークの大ファンという設定なんだなとか、ポスターは現在では入手困難なものが壁に幾枚も貼り付けてあり、そちらに目を奪われたりした。
続いて、そんな自分自身に成長したのか、もしくは純粋さが失われたのかと自問自答する結果にもなったのだが。
それでも、当時、とは言っても、映画自体の設定は1968から69年の正月だが、封切館でなく二本立て上映の場合、何と何を組み合わせるかという名画座の趣味が個性であったと思いだした。
更に鑑賞後、自分が劇中の主人公に憑依するとか、一々、細かいことばかりが呼び起こされ、当時の自分に舞い戻って複雑な心持ちにもなった。
結果、内容よりもどの程度の映画ファンだったのかという自身の実態と敗北感を想起させられた。
登場人物では、原田芳雄が映画評論家田山力哉を彷彿とさせる演技を披露して秀逸。当時、田山が直接原田芳雄に嫌味を言った記憶も蘇った。
オタクは昔から存在し厭世感すら漂わすが、個人的には人間臭く、実に美しいと感じさせる。これも自己詭弁に過ぎぬのかもしれないが。


