スタッフ
監督: スタンリー・クレイマー
製作: スタンリー・クレイマー
脚本: アビー・マン
撮影: アーネスト・ラズロ
音楽: アーネスト・ゴールド
キャスト
メアリー / ヴィヴィアン・リー
伯爵夫人 / シモーヌ・シニョレ
リーバー / ホセ・ファーラー
テニー / リー・マーヴィン
シューマン船医 / オスカー・ウェルナー
ジェニー / エリザベス・アシュレー
デヴィッド / ジョージ・シーガル
ぺぺ / ホセ・グレコ
グロッケン / マイケル・ダン
日本公開: 1966年
製作国: アメリカ S・クレーマー・プロ作品
配給: コロンビア
あらすじとコメント
引き続きグランド・ホテル形式の人間ドラマ。だが、舞台になるのは空港ではなく、船に変わる。
1933年メキシコ。ヴェラクルス港を出航したドイツの客船ヴェラ号。乗客は帰国するドイツ人が殆んどであったが、元野球選手のテニー(リー・マーヴィン)や、人生に疲れた中年女のメアリー(ヴィヴィアン・リー)、貧乏画家の青年デヴィッド(ジョージ・シーガル)など、アメリカ人やユダヤ人も混じっていた。
そんな彼らを乗せたヴェラ号は、次の寄港地キューバで、世界的経済不況から、農園主たちに解雇された出稼ぎ者600名を乗船させることになった。当然、彼らには客室などは与えられず、全員が甲板上で渡航するしかなかった。そんな中、出稼ぎ者たちにブーイングを浴びせられながら、大農園主の妻だった伯爵夫人(シモーヌ・シニョレ)が乗船してきた。彼女は、現地人の暴徒たちに農園を焼き払われ、逃げてきたのだ。
彼女だけは他の一等の乗客同様、個室の船室が与えられたが、すぐに体調不良を訴え、船医のシューマン(オスカー・ウェルナー)を呼びつけて・・・
不安定な時代を背景にした、複雑な人生模様を描く作品。
時代背景になる1933年とは、1月にドイツでヒトラー政権が誕生し、3月には日本が国連から脱退した年である。つまり、第二次大戦の影が忍び寄っていた時で、世界中が暗澹たる情勢に突入しようとしていた時期。
現代と違い、まだ飛行機による移動が限られた人間たちのみで、船路がメインの時代でもあった。しかも、本作で舞台になるのはタイタニックなどの豪華客船と違い、二流客船。ゆえに乗っている人間たちも一流ではない。
ナチスに傾倒している実業家は、グラマーな若い愛人を連れ、意気揚々とキングのように振舞う。そんな彼に馬鹿にされ続ける鷹揚なユダヤ人。犬を実の子供として溺愛する老夫婦。小人ゆえ厄介払いよろしく親から金を貰い世界を旅する男。フラメンコ舞踊団ながら金に執着し、売春をも厭わない一団。誰もが、いびつで抑圧されている。
何ら娯楽設備のない客船で、顔ぶれは毎日同じ。更にはユダヤ人差別が横行し、船長も知らぬ振り。誰ものフラストレーションは蓄積され、それらを晴らす場所はどこにもない。そこに更に、失業者が大量に乗船してくる。
そんな狭い船内で増長するエゴ。そして人間の脆さ。犯罪映画でもないのに善人が登場しない圧迫感。
いささか原作を踏襲し過ぎて、ダイジェスト版の態を成しているが、役者陣は見事。先ず、面白いのは『孤独』を引き摺る中年女として同じような設定ながら、見事に違う演技を披露するヴィヴィアン・リーとシモーヌ・シニョレ。特にリーは本作が遺作である。
また、船医を演じたオスカー・ウェルナーや、行詰った画家役のジョージ・シーガルも上手いが、どこかマーロン・ブランドやポール・ニューマンを輩出したアクターズ・スタジオ系の演技臭さがする。
そんな中、一番印象に残ったのはリー・マーヴィン。いつも悪役が多いタフガイであるが、本作での粗野でケダモノの匂いを発散する元大リーガー役は流石。
それぞれに見せ場があり、社会派を自覚したスタンリー・クレイマー監督らしい大仰さを感じさせる。また、 時代背景を際立たせるために、敢えて白黒で撮影された画面で繰り広げられる演技合戦も、閉塞感を増幅させることに成功している。
いびつな人間たちが更に、いびつになっていく時代。
劇中、第一次大戦でドイツ兵として参戦し、勲章まで授与されたユダヤ人ビジネスマンが誇らしげに、『ドイツにいるユダヤ人は、他のユダヤ人とは違う。何せドイツには百万人ものユダヤ人がいるのだ』と言う台詞に、乗船客らの将来が暗示されている。
アメリカ映画ながら、まるでシェークスピア悲劇のような暗さを感じさせる作劇の好き嫌いは、見る側の感性で決まるだろう。


