スタッフ
監督: マーク・ライデル
製作: マーク・ライデル
脚本: ダリル・ポニックサン
撮影: ヴィルモス・ジーグモンド
音楽: ジョン・ウィリアムス
キャスト
バッグス / ジェームス・カーン
マギー / マーシャ・メイソン
ダグ / カーク・キャロウェイ
フォーシェイ / イーライ・ウォラック
海軍一等警査 / バート・ヤング
オールコット / ブルーノ・カービィ
ミズ・ワトキンズ / アリン・アン・マクレーン
上級士官 / ダブニー・コールマン
オスグッド医師 / フレッド・シャドフ
日本公開: 1974年
製作国: アメリカ 20世紀フォックス作品
配給: 20世紀フォックス
あらすじとコメント
水兵が陸に上がる。目的は『楽しくやる』こと。しかし、今回は明るく健全なミュージカルではなく、切ない人間ドラマ。
アメリカ、シアトル。長い航海からある軍艦が寄港し、乗組員たちは、意気揚々と町へ繰りだしていった。
だがそんな中、水兵のバックス(ジェームス・カーン)だけは、尻に腫瘍が見つかり、航海の継続が不可能と診断されてしまう。面白くないが、完治まで病院での療養生活を命令された。一応外出は自由だが、24時までの帰営が義務付けられる。
早速、夜の街に繰りだした彼は、酒場で賭けビリヤードをしているマギー(マーシャ・メイソン)を見初め、上手く取入って口説くと彼女の部屋へ向った。
マギーは、子供が寝てるから静かにしてねと笑った。24時までに帰らないといけないバックスは、一戦交えた後、そっと、部屋をでようとした。
その時、起きていた息子のダグ(カーク・キャロウェイ)を見て・・・
切なさが胸を刻むアメリカン・ニュー・シネマの秀作。
「運に見放された女」。職業は売春婦である。
男は大好きな船に乗れなくて消沈している水兵。で、鬱憤晴らしとばかりに、一度だけの行きずりの関係を持とうと酒場へ行く。相手は、所詮、売春婦だ。どうせ深入りはしないさ。
ありがちな設定である。観る側は当然そう思うだろう。だが、すぐに少し違うぞと感じさせる展開になる。
先ず、寂しさと欲望が交錯する水兵は、ベッドのスプリングが軋むのが気になると言い、それに子供が起きるとマズイから床で、と言う。気を遣っての行為が終わり、帰ろうとすると、薄暗い隣室のソファで起きている子供。水兵が、親しげに近付こうとするといきなり、飛び出しナイフをかざす。しかも、黒人との混血である。年は11歳。
以後、主人公の水兵は、この親子に深入りしていく。
不器用だが慈悲深い男。ずっと底辺でしか、生きてこられなかった女。そして、当然、不良にしか育たない混血少年。
三者三様のドラマが浮かび、その他に、水兵のかつての上官で、不始末から海軍を除籍させられた初老の水兵が絡んできて、ドラマは、海上を浮遊するように進行していく。
大人であるがゆえに価値観が乖離する男女。
男のほうは、『女性に暴力を振るわない』、『汚い言葉を使わない』といったルールを決め生きてきた、どこか真面目な男。そんな男は存在しない、と体が覚えてきた女。だからこそ、お互いが惹かれ合いながらも、揺れ動くのだ。
そういった恋愛部分と、主人公と混血少年との融和が描かれ、更に人生の落伍者として落ちぶれていく元上官との『男同士』の関わり合いのパートが混在して進行していく。
それぞれが歩んできた各々の違う人生。紡ぎ合ったり、ほぐれたり。そして、決して運は味方しない。
汚い言葉は使わないと言った主人公が二回呪いの言葉を吐く。一度は自分の人生そのものであり、誇りを持って勤め上げてきた、心の『故郷』である海軍に対して。そして、もう一度は自分自身に対して。しかも一度目は横にヒロインがいるときであり、二度目は子供の前である。
男として、その二度とも共感でき、胸にこみ上げてくるものがあった。一方で、ヒロインが取る行動は、女性のほうが共鳴できようか。
タイトルの「シンデレラ・リバティー」とは海軍の隠語であり、意味は、「深夜0時までの自由」。誰もが知っている、真夜中までに帰らないと、銀の馬車がカボチャの馬車に戻ってしまうというお伽噺『シンデレラ』から来ている。しかし、本作では、別な意味も浮かんでくる。
メインの登場人物四人、全員が素晴しい演技で圧倒してくる。そして、「スターウォーズ」や「インディ・ジョーンズ」といった大作専門になる前のジョン・ウィリアムスのハーモニカやピアノを使った音楽が切なく響き、頭から離れない。
ビデオもでなければ、DVDにもならない。これほどの作品が埋もれていることは残念で仕方ない。
かつての上官。男と女、そして少年。
爽やかでありながら、先行きへの一抹の不安を感じさせるそれぞれのラストが、こちらの胸を締め付ける名作である。


